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        6/11学習集会「職場からの報告」
        

大阪損保革新懇 講演録8
 2003年6月11日 於大阪府商工会館
 大阪損保革新懇主催「ストップ!労働法制改悪」学習集会

大企業の社会的責任と働くルール
 ―日本経済再生の展望―

       関西大学経済学部教授・株主オンブズマン代表 森岡孝二

(目次)  はじめに――2冊の本の紹介
    最近の新聞投書欄は何を物語っているか
    さらにもう2・3の例を
      日本経済、不況の要因
    経済不況、金融の仕組みにも問題が
    不良債権問題、りそな救済の背景
      大きく変わる雇用システム
      アメリカで何が起きているか
      日本経済再生の展望――企業のあり方が問われている

  

    

はじめに――2冊の本の紹介

こんばんは、森岡と申します。お忙しい中、損保に働くみなさんが大勢お集まりになっていて、少し驚いています。

お配りしたレジメのとおり、本日のテーマは「大企業の社会的責任と働くルール」となっておりますが、できればあわせて今日の日本経済の長期にわたる混迷をどう打開するかというところまでお話したいと思い、副題に「日本経済の再生の展望」とつけました。時間が限られておりすべてを語りきれませんので、はじめに関連のある二冊の本を紹介したいと思います。

ひとつは『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』という岩波書店から最近出た本です。5人の共訳で私が監訳しました。いささかショッキングな表題がつけられていますが、もとのタイトルを直訳すると「ホワイトカラー搾取工場」、あるいは「タコ部屋のホワイトカラー」というものです。アメリカのホワイトカラーはそれほどに悲惨で過酷な状況におかれている、いうことを丹念な取材に基づいてリアルに描いた本です。著者はジャーナリストのビジネス・ライターですが、金融事情にたいへん詳しい。

この本の中に銀行で働くホワイトカラー労働者の話が色々と出てきます。80年代の日本のバブルに先立ちアメリカでもバブルがあって、貯蓄貸付組合という名の銀行の多くが、住宅ローンを看板にした無謀な不動産融資で潰れていきました。日本と違うのは経営者の責任が重く問われたということですが、その貯蓄貸付組合の事例も含めて金融機関に働くホワイトカラーがどんなに厳しい状況にあったかということが身につまされるかたちで出てきます。この中で紹介されているのですが、人々は経済の動きの中で、職場の動きの中でいろいろ苦労を背負わされているだけではないのです。みんなそれぞれ個人の問題を持っています。夫婦の問題がある、親子の問題がある、あるいは個人の悩みや健康上の悩みもある、みんな悩みを抱えながら、職場のいろんな厳しい問題に直面しているのです。

この本は経済学者が経済の問題を書いた本と違って、個人の生活に踏み込んで職場の問題を考えています。私も翻訳しながら胸が痛くなることがありましたが、おそらく読む人がみんな自分のことを書いている、と思えてくるような話が続きます。ホワイトカラーのみなさんと共通する話が多く、共感されるところも多いと確信しています。

もう一冊は『日本経済の選択――企業のあり方を問う』(桜井書店)という私の本です。ある出版会社に勤めていた人が新しい出版社を立ち上げた際に応援するつもりで書いたものですが、まだあまり知られていない出版社です。内容はこれからお話しすることや日本の企業のあり方について触れています。日本の企業では経営者が違法や不正を犯してもそれをチェックする仕組みがないか、あっても機能しないことが多い。同時に法的義務や社会的責任を逃れて恥じない企業も少なくありません。こういうことがなぜ生ずるのか、どうすれば改められるのかなどについてかなり詳しく、力を入れて書いたつもりです。その出版社を励ますという気持ちで買っていただければありがたいと思います。

最近の新聞投書欄は何を物語っているか

本題に入りましょう。はじめに最近の「朝日新聞」の投書欄からいくつかの切り抜きを紹介したいと思います。

ひとつは「会計士の死・わが身照らす」という税理士の72歳の方から投書です。今回の“りそな”の実質国有化をめぐっては、旧大和銀行は新日本監査法人、旧あさひは朝日監査法人が関わりましたが、朝日監査法人が突然降りることになりました。新日本監査法人がなんとか無理をして表面上は債務超過で破綻という最悪のかたちは免れましたが、公的資金の強制注入は避けられなかった。旧あさひからの流れで“りそな”の監査業務にあたった朝日監査法人のシニア会計士で、前途有望な、ほどなく代表社員になると予定されていた人が自ら命を絶ちました。いろいろと軋轢があった。金融庁から「なるべく荒立てないで、穏便に運ぶように配慮いただきたい」と言われ、一方、“りそな”からも「よろしく」ということになっていたけれど、目をつむることができなかったのだと思います。投書された人は同じ立場に立たされたら自分も迷うだろうと思って「わが身照らす」と書かれたのでしょう。

この問題の背景の一つに、大和銀行の1980年代後半のニューヨーク支店巨額損失事件があります。多年にわたるアメリカの国債の不正取引で11億ドルもの損失を生み、アメリカの金融監督当局に報告しなかったことが問われて、結局、大和はニューヨークのみならず国際金融業務から撤退せざるをえなくなりました。当時、大和の監査に当たっていた新日本監査法人がもっと厳正に監査していたなら、異なった展開もありえたはずですが、そこをずっと目をつむってきた。

近年の多くの粉飾決算事件が明るみにでましたが、その一つに1996年年に最後的に破綻した日本住宅金融があります。日住金は住専最大手の一部上場でしたが、住宅ローン専門会社というより、定款の事業目的からみても「不動産担保融資会社」でした。住宅金融もするけれどラブホテル・テナントビル・駐車場その他の不動産に絡んだ建設関係の取引に融資する。典型的なマタ貸しの不動産を担保とする融資会社です。預金者を持たず、金融機関から金を借り、それをより高利で貸して利ざやを稼ぐという金融機関です。この金融機関がズサンな融資をした挙句に潰れ、粉飾決算が明らかになったのですが、監査していたのは朝日監査法人でした。

1996年の時点で、粉飾によって被害を受けた株主たちが、証券取引法に基づく損害賠償請求訴訟を起こし、それを株主オンブズマンがバックアップしました。昨年6月に朝日新聞の一面トップで報じられたのでご存知の方もあるかもしれませんが、和解により監査法人は、法的責任は認めませんでしたが、2000万円を株主に賠償するということで決着しました。

これは日本の監査史上、私の知る範囲では初めてのケースです。アメリカでは監査法人の責任を問われて損害賠償をする、しかも損害賠償が大きな額になって監査法人が潰れるという例がいくつもあるようですが、日本では責任を問われるということはありませんでした。今回、朝日監査法人が慎重になった背景には、事と次第によっては株主から訴えられ、監査法人が責任を負わざるを得なくなるかもしれないという事情があったとも考えられます。

次の新聞の切り抜きは、“りそな”社員の奥さんからのものです。

「主人は“りそな”グループの社員です。朝は6時半の電車で出勤、昼食をとるのもままならず、終電で帰宅。家でも午前3時ごろまで仕事、リビングの床で眠ったり、徹夜したりすることもしばしば。健康診断の結果は要注意項目だらけですが、病院に行く時間も取れません。土日もよほどのことがない限り出勤、リストラで業務を任せる人がいないからといいます。いくら真面目に働いても給与・賞与は度重なるカット、先日子供の家族手当も打ち切られました。それでも、現状を知らない親類からは、銀行は給料が高いといわれます」と書いています。

非常に切実な投書ですね。普段こういう事に関心を示さない私の息子がこれを読んで、ボソッと「これは死ぬで」と言いました。本当にこれは死にほどの労働時間ですね。

過労死的な状況は、日本の職場にも、どの年代にも、どの職階にも、広くみられます。いま特にとくにシビアーな状況にあるのは30代です。おそらく会社内で現場責任を一番負わされている年齢層で、家庭でいえば子育てに深いかかわりがある世代です。男性についてこういう言葉があてはまるかどうかわかりませんが、出産可能年齢人口の年齢層です。次代の労働力を作り出す世代です。その人たちが随分過酷な労働時間、過酷な業務負担でほとんど自由時間を持てない、妻とスキンシップの時間を持てない、子供と接する時間を持てないという状況です。サラリーマンの30代層を中心に、働き盛りの年齢は過酷な労働現場で過酷な仕事を強いられている。これでは少子化がすすんでも仕方ありません。そういう思わせる投書です。

さらにもう2・3の例を

さらにもう2、3の例を紹介しましょう。ひとつは「夫が過労休職、冷淡な労基署」という投書で、「帰宅は午前0時前後。会社での泊り込みは週に1〜2回ある」。「会社で倒れ、救急車で病院へ。一度は職場復帰したのだが、再び体調を崩して、以後休職中」。その夫の労災申請に行って冷たい対応を受けたという話です。

もうひとつとは「社会保険制度を正社員なみに」という契約社員として働く息子の話を母親が投書しています。「息子は毎日、朝7時過ぎに出勤。帰宅は平均で午後11時ごろ。遅い時には午前1、2時にもなる。家では寝るだけ。過労で倒れないかと心配だ。正社員並に働いているのに雇用保険や健康保険などの社会保険制度がない厳しい条件だ」と。この投書は正社員でない雇用身分も状況は非常に厳しいということをうかがわせます。

さらに公務員はどうか。教師の妻からの投書では、「新婚当初から主人は連日家庭訪問や研究部会への出席で帰宅が遅く休みもなかなか取れませんでした。夏休みは、保護者懇談会、泊りがけの研修会、遠征の引率を含むクラブ顧問の仕事などに追われ、休日は取れても数日でした。……ふだんは夜9時以降にしか帰れない毎日です。ほんのわずかしか残業代はつきません」と書いています。

これらの投書はすべて5月の末から6月はじめにかけてのものです。はじめの投書以外は、すべて妻や母親が夫や息子の労働実態を告発したものだということも注目されます。本人たちは忙しすぎて実情を訴えるための文章を書く時間さえないのです。

これらの投書を見ただけでも、民間も公務員も非常に厳しい事態であることがわかります。しかも、“りそな”の問題に見られるように、企業は労働だけでなく経営もまっとうとはいえない状況にあります。少なくない企業で、いろいろと法律に触れる、社会的責任が問われるような事件が相次いで起きています。

現在、日本の企業のあり方が問われています。この企業経営のルールについて、どういうあり方が望ましいのか。同時に労働のルールからみていま何が求められているのか。次にこれらに関して話を進めていきたいと思います。

日本経済、不況の要因

日本経済は長期にわたって混迷を続け、停滞しています。不況、しかも深刻な長期不況で、大不況という言い方もできるような状況が続いています。

1980年代の後半、株価・地価が非常に上昇して、経済生活に混乱をもたらし、かつ企業の経済活動に重大な困難を与えるようなバブルが起きました。次にバブルがはじけて不況に突入しました。1990年に入ると、株価が大きく下がり、91年には地価も下がり始めた。景気は93年にいったん底になったが、94年、95年と少しずつ上がり、96年になるとだいたい90年のレベルまで戻るかなと言われました。

97年春、政府は景気の「自立回復宣言」を発しました。これからは政府が特別な景気回復策を講じなくても景気は回復軌道に乗っている。いま、国としてやるべきことは「景気対策よりも財政再建だ」というわけです。景気が上向いてきたこの機会に長期の赤字財政対策として、消費税を3%から5%に引き上げました。その前に2兆円の特別減税がありましたが、それも打ち切りました。それから医療費も上げ、合計約10兆円の国民負担増となりました。

これは体力があり、しかも勢いがついた経済であれば、それほど大きな影響はなかったかもしれません。しかし1997年4月から消費税が上げられると決まって、3月だけは駆け込み需要で消費は大きく伸びましたが、その後は反動で大きく落ち込みました。政府は減少は短期間のもので、遠からず落ち込みは回復して消費は拡大して行くという見通しでしたが、事態は違っていました。それからは消費は落ちる一方です。たとえば百貨店・スーパーの売上は年によってはマイナス5%も落ち込みました。家電の売上もそれに近い減少がある。流通で売上が伸びたのはコンビにだけです。これは地域の伝統的な小さな商店がどんどん潰れていくことの裏返しだといえます。消費財でいうと携帯やパソコンなどの情報通信関係だけが通信費を含めて伸びていきました。後は軒並み、車も含めて売上が落ちる。消費が冷え切った状態になっています。しかも、消費がそういう状況で1995年ぐらいから失業率が3%に上がる、そしていま5.4%です。そういうふうに失業率がどんどん高まっていく、このように景気が消費・雇用の両面で冷え切った状態でいまに至っています。

いま、物価も下がっています。物価が下がるということは生活する者にとっては物が買いやすくなって、いい面があるように見えますが、経済の仕組みから見ればデフレは債務の負担を増大させ、不況をより深刻にします。しかも国際的には、中国がグローバリゼーションのなかで低賃金のまま競争力を持ち、世界の工場化していく。そういう中で中国だけでなく他の途上国や旧社会主義国を含む新興諸地域からの大量に安いものがどんどん日本に入ってくる。こうした一種の価格革命もデフレの背景をなしています。それらが重なり合う中で日本経済は産業の空洞化が進み、賃金が下り、従前にない厳しい状況に至っているのが現状です。

経済不況、金融の仕組みにも問題が

もともと日本の戦後の金融は、大企業は特定の都市銀行と長期安定的な融資関係を結んでいました。その都市銀行をメインバンクといいますが、このメインバンクがついていれば他の都市銀行も足並みを揃えて融資をする。そうしたメインバンク制と協調融資制という仕組みが一つになって銀行と企業との関係が出来上がっていった。

それと同時に銀行が株主として事業会社の株を持つ。事業会社もまた銀行との融資関係を媒介に相互に株を持ち合う。お互い会社同士が株を持ち合うという仕組みが生まれてきました。これはある面では外資による乗っ取りや買収を防ぐという効果があったかも知れませんが、コーポレートガバナンス、企業統治の仕組みという点から見ると、法人資本主義論で有名な奥村宏さんが言うように、いろんな問題を孕んでいます。どういう問題があったか。普通は株を持つというのはその企業に出資ないし投資をするということです。相互持合いは一方で出資をしているようで、他方で払い戻されて実は出資をしていないに等しいのです。また、相互持合いでは、株主の一番大事な権利である「議決権」の行使が曖昧になっています。持合関係にある法人間では、お互い様だということで、通常は「お任せ」で、互いに白紙委任をするのです。

一番典型的なケースは包括委任状です。それはすべての議案について賛成いたします、緊急動議、修正動議を含めてそれに賛成しますという委任状です。これでは相手企業の経営をチェックすることはできず、モニターもできません。

もっと広げて言えば、普通は株主が会社を選ぶのですが、会社が株主を選んでいるということです。悪い企業、利益の上がらない企業、問題の起こる企業に対しては、株主が意見を言うか、株主を売るというのが普通の方法です。

ところが相互持合い関係にある株主をお互いに安定株主と言っていますが、それは長期に株を持って手放さない、つまり株を塩漬けにするということです。塩漬けにすればするほど流通量は少なくなりますから、株価を高める効果がある。かつての高株価というのはそういうこともあった。かつては株をお互い持っていて株価が上がっていけば含み資産としてうまくいっているように見えました。

株式相互持合いの中で一番株を持っていたのはどこか。それは金融機関です。一企業に対する持株比率が5%を超すと金融監督当局に「大量保有届け」が義務づけられていますから、銀行は多くの大企業において5%未満の株を持って、筆頭株主か、上位株主になってきました。そして、自己資本比率の計算上、株の含み益があれば、含み益の45%は自己資本に算入できるというシステムでこれまでやってきました。しかし、株価が長期に下がっていくと含み損に転ずる。そうなると自己資本比率は下がる。よほど収益があり、その収益から不良債権処理損を埋められればいいのですが、収益はあるにはあるが処理損の方がはるかに大きいとなると、国際決済銀行(BIS)の定める自己資本比率――国際金融業務をする銀行は8%、国内金融業務だけの銀行は4%――が維持できなくなる。結局、銀行が自ら持っていた株は、かつては強みだったものが、いまは逆に弱みになってきているのです。

不良債権問題、りそな救済の背景

金融機関が今日の日本経済のつまずきの要因のひとつを作っていますが、さらに不良債権問題について考えてみたいと思います。不良債権問題についてはいろいろ議論がありますが、いまの不良債権とかつていわれてきた不良債権とは明らかに違うということを確認しておく必要があります。

かつてバブル3業種といわれたのが不動産・建設・ノンバンクです。ノンバンクというのは経済産業省(旧・通産省)の管轄下にある「銀行でない金貸し業」です。いまの不況下でいちばん勢いのある、利益を上げている業種です。多額納税者ランキングの上位は、預金業務は行なわずに高利で融資業務を行なうサラ金や商工ローンなどであるといっても言い過ぎではありません。

バブル3業種に含まれる住専は、不動産の投機的売買でズサンな融資を行なってきました。私たちは日住金の融資案件について取締役会の議事録を閲覧請求しました。巨額融資については、本来は取締役会で議論をして慎重に審査をして貸すことを決定すべきですが、議事録には議論の跡がなく、「そんなことをしていたら融資競争に負ける。融資競争に負けないためは迅速な融資が必要だ」というのが日住金の釈明でした。

たとえば、私たちが1000万円の住宅ローンをしようと銀行に行ったら、一定の手続きが必要で、今日行って明日いいですよとは言ってくれません。その人の所得とか職業とか地位とかいろんなことを調べて、じゃぁ貸しましょうとなるまで何週間かかかりますね。3000万円とか1000万円の借り入れよりも50億円の方が簡単に決まる。そういうのが当時の融資だったのです。融資先の事業の収益性や将来性だけでなく担保価値さえろくろく審査せず、土地さえあれば地価の8掛けとかで融資する。しかも、一次抵当、二次抵当とあって、場合によっては地価以上の融資が行なわれる。バブル崩壊から不況になる中で、融資先の事業が行き詰まって貸倒れ状態になる。地価が大きく下がれば、担保価値もなくなって、融資金の多くが回収不能になる。そういう不良債権がバブル崩壊後の不良債権です。

ところが今日の不良債権問題の背景には、国際決済銀行が定める自己資本比率規制(BIS規制)があります。“りそな”に戻りますが、“りそな”は大和銀行のニューヨーク事件を契機に国際金融業務をする都市銀行でなくなり、自称、スーパー・リージョナル・バンクの地方銀行になった。したがってBISの4%条項で良いのですが、これを下回る恐れが出てきたわけです。この結果、なぜか自己資本比率を4%でも8%でもなく、12%にするということで、1兆9000億円の公的資金を投入することになっています。これは返ってこない金です。事実上の破綻銀行に注ぎ込むわけですから返ってきません。債務超過の帳消しに強制注入する金です。長銀・日債銀にはそれぞれ数兆円の金が出ていますが、それももちろん返ってきません。

自己資本比率の分母は資産です。銀行の場合、資産は融資している金額です。融資が分母で比率が決まるとすれば、比率を上げるには、融資を押さえ、貸し出しを小さくするのがまず一つの方法です。もう一つは過去に貸し出していた金を回収するか、あるいは担保の積み増しを求めるのがもうひとつの方法です。分子を増やすには、利益から自己資本を増加させられなければ、公的資金の注入を求めるしかありません。

中小企業同友会の方から聞いたことですが、日本の金融機関はバブル期には中小企業家がいらない、いらないと言っているにもかかわらず、無理やり融資を押し付けてきた。いってみれば日照りの時に「傘をさせ、させ」と傘を持たせた。ところが、土砂降りになって傘なしにはやっていけなくなると、貸し渋り、貸し剥がしで、無理やり傘を取り上げる。

このような貸し渋り・貸しはがしがあって、それが現在の経済を一層冷めさせているのです。資金繰りを悪化させ、企業の倒産なり、経営不振を招いている。それが他の要因による不況の長期化と相まって、新しい不良債権を生み出しています。

ニワトリが先か、タマゴが先かの議論ではありませんが、景気の回復のために不況を解決することが先決という意見と不良債権の解決が先決だという議論があります。竹中チームなり、小泉政権が採っている経済政策はしばしば「丸投げ」といわれていますが、まず不良債権処理が先決だとしているわけです。不良債権処理を加速化し強行する、そのために公的資金を注入する。したがって、“りそな”救済はその一つとして筋書き通りされているわけです。そういう選択肢をとっているのですが、結果的に言いますと相変わらず銀行救済型の処理となっており、消費を活発にするとか、雇用を守るという方向の政策にはなっていません。そこが大きなポイントです。

次に雇用問題について先を急ぎたいと思います。

大きく変わる雇用システム

日本の戦後の雇用慣行、すなわち日本の雇用システムはいま日音をたてて崩れるぐらい変わってきています。日本の雇用システムは世界の先進国では唯一例外的に大量失業を知らないまま、戦後40年ぐらいやってきました。戦後の混乱期を除き、高度成長が始まった1955年頃からみますと、だいたい1〜2%台でした。アメリカでは4%の失業率は「完全雇用」といいますから、日本では超完全雇用だったといっていいぐらいです。

90年代に入ってもしばらくはまだ2%台の完全雇用の延長線上でした。95年位から大きな変化があらわれ、3%を突破し、それからはウナギのぼりです。アメリカは長年失業率が高かった国ですが、それがだんだん下がってきて、1990年代の末には日米の失業率が逆転しました。いままたアメリカの失業率の方が高くなっていますが、日本が大量失業時代に入ったことは明らかです。

現在日本では就業者が総数6306万人、雇用者はそのうち5300万人位ですが、4月の労働力調査で完全失業者は385万人、失業率は5.8%です。うち男性が233万人で5.9%、女性が151万人で5.5%です。

細かいことですが、実はちょっとまえまでは男女の失業率がほぼ同じ動きをしました。いまは男性の失業率の方が高まっていますが、これは女性の労働市場で求職活動が困難になってきており、求職活動を諦める女性が増えてきているからだと考えられます。近くでパートをやっていた主婦が、遠くまで電車に乗って行くことは難しいからハローワークに行かないという場合は失業者に数えられません。失業統計に表われてきません。ちなみに、たとえば大学の就職率は95%と発表されたりしますが、実はこれもカラクリがあるのです。それは調査時点でなおも求職活動を続けていながら就職できていない人が全体の数パーセントいるということであって、途中で就職活動を諦めた人や最初から諦めている人は含まれていません。熊沢誠さんの『リストラとワークシェアリング』(岩波新書)に出ていますが、都市圏の有名私学における2002年春の大学卒業者の調査では、従来の意味での就職は5割弱で、4割もがとりあえずフリーターになるという数字もあります。

「労働力調査」の完全失業率という言葉にも注意しなければなりません。この調査は月末の1週間の就業時間を調べたものです。これは調査員が調査対象者に、調査票を渡し、簡単に説明して記入をしてもらう、国勢調査みたいなものです。全国だいたい4万世帯、約10万人の人々を調査します。

この調査における失業か否かの基準は、月の最後の1週間に1時間も働かず、現に求職活動をしているか、過去に行なった求職活動の結果待ちの状態にある人。これが完全失業の定義なのです。1時間でも働いた人は失業者でありませんし、求職活動を諦めている人も失業者ではありません。

これが失業率の実態なのです。若い人の中には不本意な形でまともな職につけなくてアルバイト的な仕事をしている、フリーターといわれるひとがたくさんいます。フリーターがいかにも若者の怠け者でブラブラしているかのようなイメージで見られる向きがありますが、好んでフリーターになっている人はほとんどいません。実は深刻な失業難がその背景にあるわけです。

大阪には日本一の数の野宿生活者がいます。この人々も仕事を探しているのですが、若ければ、「おまえ来い」と現場に連れてってもらえるかもしれませんが、中高年になるともう仕事がありません。仕事がないから昼間から寝ているように見えるのです。そういう人も失業者です。でもこの人たちも失業統計に入りません。

アメリカで何が起きているか

『日経ビジネス』の今年の1月27日号で「もっと働け日本人」という特集がありました。最初に紹介した本では、アメリカ的経営の中でホワイトカラーが猛烈に働きすぎくらいに働いている姿が浮き彫りにされています。そうしたアメリカのホワイトカラーに負けずに、もっと日本人は働きなさいというのがこの特集の狙いかもしれません。

この特集で、日本電産というハイテク企業の社長の話が紹介されています。彼は午前6時50分に誰よりも早く出社し、1日15〜6時間働き、土・日も休まない生活をしているそうです。この社長は、次のように言っています。日本人が働きすぎるというのはもう昔話で、最近欧米のビジネスマンの方がずっとよく働いている、それが一番わかるのが国際線の機内だ、日本人は酒を飲んで酔っ払ってそのうち寝てしまうが、欧米のビジネスマンは到着時間ギリギリまで仕事や打ち合わせをし、機内ではノートパソコンを開いて作業を始める。だから日本人よもっと働けというわけです。

もう一つ加えますと、編集者の良心の痛みが反映しているのかどうかわかりませんが、同じ号の第二特集では「社員の病は会社の病」というタイトルのもとに、「現代のビジネスマンの心身は間違いなく痛んできている。こうした状態の一因でもあるストレスや長時間労働が度を超せば、過労死や自殺といった悲劇に至るのは避けられない。いまや企業にとって社員の心身の健康維持・増進は、経営の重要課題となってきた」と書いています。

企業は、社員の働きすぎが高じて、精神衛生や自殺につながるような問題について対策を講じざるを得なくなってきています。全従業員に会社の指定した医者が面接するとか、いろんなメンタル・ヘルスのカウンセル・システムを作って、相談なり助言をしていかざるを得ない時代に入っています。現代社会はなにかとストレスが多い。その上に仕事のストレスが重なり、人々はいつ自分の身体に異常を感じ、あるいは生命の正常な営みを絶たれるという事態に直面するかわからない状況になっています。

はじめに照会した『窒息するオフィス』という本の中にインテルという会社に対する異議申し立てのウェブサイトがあります。そこにストレス・キルという言葉があります。日本でいえば過労死です。それとアンペイド・ワークの集団訴訟の呼びかけもあります。違法残業、サービス残業が問題になっているのです。

アメリカでも日本でもメンタルへルスの問題が深刻です。会社も社員の健康対策をせざるをえなくなっています。それは企業にとって生産性に響くからです。この本の著者は社員をいじめればいじめるほど、企業は最も大事な企業の競争力の源泉にダメージを与えて企業の生命力を枯渇させていく、安定的な労使関係と労働者との絆がなければ、労働者の真の働く意欲とエネルギーは出てこない、というたいへん重要な主張をしているのです。

ところが、アメリカ経済は株価第一主義の経営の中で人減らしをどんどん進めて、仕事はどんどん増えるばかり。結局、従業員は自分を守ることに精一杯で、人のことについて思いやる余裕がなくなっている。さらに職場はどんどん荒れて、いじめが蔓延する。しかも研修も不合理な研修が取り入れられています。たとえば、創意・工夫をしようというテーマのエクスサイズでは「あらゆる方法で飛んでみよう」といって、目をつむって飛ぶ、後ろに手をくんで飛ぶ、手を前に交差して飛ぶ、ウサギ飛びをする、跳躍運動をする、そういう多様な飛び方をさせられる。ふつうの自尊心のある真っ当な神経をもっている人から見れば、神経が参るようなやり方をわざとさせ、社員のやる気や意欲をテストするようなことがおこなわれています。

さらに最近のアメリカで福利厚生(年金、健康保険、医療保障、休暇など)がどんどん削られていく現象が強まっています。自前で、自己責任でやれというわけです。その中で何が起きているか。実力主義というか、むきだしの競争が社員の間に組織されて、かつての温情主義的、家族主義的な労使関係がなくなってきています。アメリカでも家族主義的な経営がかつてはあったのです。いまはそういうものは全て剥ぎ取って、露骨なむきだしの競争と効率・業績ということになって、その中で従業員が働いているというのが現実です。解雇も自由です。ホワイトカラーには労働基準も適用されません。

一方での株価第一の経営が強く推進され、もう一方には解雇自由がある。この両方の作用があってアメリカのホワイトカラーは日本以上に厳しい状況におかれています。

では、これらのことはアメリカだけのことか。そうではありません。いま、日本では労働法正改悪の議論が進められています。解雇権については当初案の財界が要求したような解雇が一方的にできるという規定にはなりませんでしたが、多くの改悪が図られようとしています。また、医療・健保・年金などの改悪、自己責任が強調されています。

日本経済再生の展望――企業のあり方が問われている

そろそろまとめに入りますが、これから日本経済はどうなるか。

日本の政府と財界の考えの第一は、多年にわたる成長政策を今後も踏襲し、継承したいと考えているということです。成長、成長ということがすべての政策のベースにおかれる。日本経済はかなり高い成熟段階に達していて、かつての10%成長から5%、3%、2%になり、現在はもう長期の横ばい状態に入っているわけです。にもかかわらず、政府と財界はアメリカ的な経営を採り入れれば経済は活性化するとして、相変わらず成長第一の経済運営をしようとしているのです。しかも、バブルの崩壊で株価至上主義経営は破綻したはずなのに、アメリカに倣って、株価至上主義に走っています。新聞には。株価が8000円台に下がった、9000円台に回復したなど、株価に一喜一憂した記事が多くなってきています。しかし、株価というのは一種のアブクですから実体経済とかなりかけ離れた動きをするわけです。

実体経済は、人々の実際の生活がどうなるかということです。そのために経済が安定するための仕組みを作る。それには社会保障を中心とする、従来から確認されてきた暮らしを支えるいろんな地道な制度の積み重ねを、破壊するのではなくて、それを整備し、拡大することが必要です。いまの日本経済は一連の仕組みを自分でぶっ壊して、そのことによって実は経済の安定性を損ない、経済がうまく行かなくなっているのです。

経済活動にとっては革命というようなことはそう簡単にできないのです。経済は定常性が大事な一つの仕組みで、昨日と今日はあまり変わらず、将来が見通せるという程度の安定が必要です。もちろん漸次的ないろいろな改良が必要ですが、一挙に制度を組替えるようなことはかえって混乱を来たします。

日本の雇用は終身雇用制度として永いあいだ雇用を安定させてきたのは事実です。不況下のリストラによって雇用システムが大幅に変えられ、国民と労働者に大きな不安を作り出しています。政府は、どう雇用の安定性を作り出すか、雇用を促進するかが問われていますが、それを最優先に努力しているようには見えません。

金融ビッグバンもすすめられています。その挙句、勝者はアメリカの金融資本であるという仕組みを作っています。こういうのは日本の経済の安定を損ないます。

過去の経済を支えてきた仕組をぶっ壊してしまったが、新しい秩序は生まれていない。そのために経済の安定性が失われているのです。

そのような中で健全性や、透明性や社会的責任が問われている領域が企業経営です。時間がなくなってきましたので、詳しくは触れられませんが、企業の経営が普通の常識ある、社会常識にかなったかたちでおこなわれることが肝要です。「企業の常識は社会の非常識」と言われるのが日本の現実です。会社の総務の人に書いてもらったアンケート中に「企業の常識は会社の非常識といわれる現実を改めなければならない」という意見がありました。会社の人も認識しているのです。それほど法令を守ることすらできない企業が多い。

法令違反の象徴は何かというと二つあります。

一番はっきりしているのがサービス残業、これは日本の労働者・従業員がうけている被害人数と被害金額で最大の企業犯罪です。摘発運動や告発があって厚生労働省が多少動いて変えさせるという成果があがっていますが、まだまだごく一部であり、広く蔓延しています。サービス残業を蔓延させておいて、コンプライアンス・法令遵守だと言ってもチャンチャラおかしいという状況があります。

もう一つは談合です。談合とはまっとうなビジネスのあり方から言えばあるまじき行為です。そのために国民がどれだけ損をしているか。100億円の工事が120億円になったり150億円になったりするのが談合だからです。建設業界の入札の90%以上は談合だと言われています。そういう談合が蔓延している中で建設会社が法令遵守といっても眉唾です。そういう現実が日本にあります。すべての業界がそうだとはいえませんが、しかし金融機関についていうと粉飾決算というのは破綻して明るみにでた金融機関だけでなく、広くあります。そういう現実を変えていく、当たり前にしていくことが必要です。

企業の社会的責任をはっきりさせて、かつ当たり前の賃金が支払われる、あるいは残業を制限し、労働時間を守って、人々が人間らしい家庭生活、個人生活をエンジョイできるようにしていく。そして健康な身体・健康を維持していく。それによって消費も活発になっていく。そういう経済の仕組みをつくっていく必要があります。

また、今日この会場にも多くの女性が参加されていますが、女性の地位向上と男女平等も大きな課題です。男女雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法という法律はありますが、依然として女性のおかれた日本の社会的地位は著しく差別的で、男女平等には程遠い状況です。これも資本主義の中でルールをちゃんとしていけばなくすことができます。

そういう男女平等さえ達成できないで、サービス残業さえ達成できないでルール、ルールといっても始まらないわけです。

真っ当なルールとしては企業の社会的責任をキチンとさせるということと真っ当な働き方を確立する。この二つからはじめていくことが当面みえてくる日本経済の再建につながっていくのではないかと考えます。

充分言い尽くせないままに時間がなくなりました。冒頭の私の本をぜひ参考にしていただきたいと思います。これで私の話を終わらせていただきます。大阪損保革新懇のますますの発展を期待します。どうもありがとうございました。

                                                                  (大きな拍手)