ニュースNo.54. 2004.9.3..

『平和バスツアー』に28名が参加
広島・損保慰霊祭 出石町訪問・町長と懇談、交流
 今年も、恒例の大阪損保革新懇の『平和バスツアー』は、8月5日(木)夜出発、7日(土)帰阪の日程で行い、28名の参加を頂きました。

 1日目は、広島平和祈念公園内にある損保慰霊碑の前で「慰霊祭」に参加、午後は倉敷の町並みを散策し、湯原温泉で旅の疲れを癒しました。2日目は、兵庫県出石町を訪問、来年4月に豊岡市との合併が決まっているもとで今年5月の町長選で当選し、合併後の町づくりを展望しながら、町政をすすめている町長と懇談、交流を行ないました。
 昼食は、名物『出石皿そば』をなんと224皿をたいらげ、店の人もびっくり!記念品を全員いただきました。

 出石町長との懇談内容
  町民の思いを大切に・合併後の町づくりを
 町役場の会議室に案内された私たちは、さっそく奥村町長のお話を聞きました。
 最初に、三浦代表世話人より「ご多忙のところ、時間を取っていただいたことに謝意を申し上げ、今全国的にも市町村合併問題が、国民的な関心事になっている。合併が決まった後もわが町の伝統と誇りを胸に、どう町づくりを進められようとしているのかをお聞きしたい」と訪問の目的と挨拶を行ないました。
 町長から冒頭、出石町の概要と自己紹介、任期10ヶ月の町長になった経過と合併後の町づくりについてお話がありました。
 『出石町は、城下町と出石そばを中心に栄えてきた観光と伝統のある町です。私は出石そばの業者として、また31年間、共産党公認の町会議員をしてきました。豊岡市との合併問題が出てきてから、合併について住民運動の一翼を担って活動に参加してきました。合併の是非を問う住民投票で合併が決まり、今年5月任期満了に伴なう町長選挙を迎えることになりました。
 ところが選挙告示間際になって、住民運動を共にしてきた業者団体や観光業者の方々から、「このまま合併促進派の利権絡みの町長を選ぶのか、合併後も出石町の伝統と誇りを生かした町づくりをする町長を選ぶのか」との声があがり、私にその役が回ってきたのです。したがって私は、いってみればわずか10日間で町長になってしまったのです。
 これからの町行政ですが、10ヶ月の任期でやれる事は限られていますが、私を町長にした町民の力は、出石町の歴史と伝統に誇りをもってきた町民の思いと「これからの町づくりは自分達で」という思いが結集したものだと思っています。
 いま町民の各層からは「豊岡市といえば出石町」と言われるような町づくりをやろう!の声が寄せられており、いまその具体化に向けて取組んでいるところです。』

心遣いある町づくりに感動・感激
 感動しました。感激しました
出石町で長い間共産党町議として、町民の要求に親身になり、実現に向けて活動し続けてきた経緯。市町村合併が決まった直後の、出石町最後の町長選挙。なんとなく、回りに押されて立候補、最後の最後まで勝つとは思っていなかった選挙。
 ユーモアたっぷり、自信たっぷり、予定の時間を大きくオーバーしての熱弁。お会いできてよかった。革新懇の平和バスツアーに参加してよかった。
 その後、出石そばを食べ出石城跡や町並みを散策したが、自然と溶け合った町並みを見ると、訪れる人を十分満足させる小さな町の心遣いのある町づくりがすみずみに進められている感がありました。 (日新 Y・Nさん)