大阪損保革新懇緊急講演会講演録  2004. 5.14 大阪府商工会館大講堂

イラク戦争と日本の危機 〜本当の国際貢献とは何か〜
  講師 イラクの子どもを救う会 吹田市職員 西谷 文和氏


はじめに
1.バクダットの現実
2.今回のイラク戦争の本当の目的
3.劣化ウラン弾について
4.紙一重だった人質事件
・劣化ウラン弾についての補足
5.クルド問題など中東の諸問題について
6.「かゆいところに手が届く」本当の国際貢献を
おわりに



みなさんこんばんは、今めちゃくちゃ良いように紹介していただきましたが、確かに医療器具も届けましたし、子供の命を助けたいとも思いました。それも半分あるんですが、残りの半分は「イラクの本当の姿を見たい」ということで行ったわけです。
有給休暇をとって行っております。「あいつ仕事してへんのちゃうか」とかいろいろ思われるんですけれども、有給以外はちゃんと仕事をしています。公務員の場合は年間20日与えられていましてそれを利用させて頂いています。毎年というか紛争があれば、そういう所へ行くのを趣味としております。
今回もそれで行かしてもらったんですが、実は、某宗教団体の方が、今度の議会で質問されるそうです。そういうバッシングもありますけれども、逆の励ましも多くて、世論も二つに割れてますけれども、「せめぎ合いの時」なんだろうと思っています。
イラクには去年の11月に初めて行きました。一人で行ったわけですが、その時に知り合いになった通訳がおりまして、その人と一緒になれば大丈夫だろうと思いまして、4月5日にバクダットに入りました。15日まで11日間、バクダットを中心にイラクで過ごしました。
残りの2日ほどはパレスチナに行ってきました。パレスチナに壁を作っているんです、イスラエル政府が。そういう所を取材して帰ってきました。
明日の毎日新聞の大阪版に、僕の記事と読者の感想が載りますのでお読みいただければと思います。


はじめに
イラクはアラビヤ語なんです。アラビヤ語はイスラム教のコーランにのっとって広がっていますので、モロッコも、エジプトもパレスチナもアラビア語なのです。だからアラブという民族はインターナショナルなわけです。ヨルダンの人もパレスチナの人も同じ言葉を話すわけです。イランから東はペルシャ語になります。
アラビヤ語で「こんにちは」という挨拶はアッサラームアライクムと言います。サラームというのが平和という意味です。アルというのは英語でいえば定冠詞のTheにあたります。アルカリとかアルコールというのはアラビヤ語から来ているのです。アルカイダとかアルジャジーラなどにも使われています。アルサラームアライクムというのは、「あなたの上に平和がありますように」という意味なんです。
パレスチナの人もイラクの人もこう挨拶してから会話に入るということです。イスラム教の教えというのは、「人間を大事にしなさい」、「平和を大事にしなさい」という教えに基づいていますが、そういう国の人々が戦争に巻き込まれているのは皮肉なことです。


1.バクダットの現実
 11月にはじめて、今回4月と2回イラクに行ったわけですが、アメリカに対する反発が極めて強まっております。11月の時点では「フセインもアメリカも両方ともイヤだ」という声があったわけですが、今回は、「アメリカは最悪だ、これならフセインの方がまだましだ」という声が多かった。なぜかというと、バクダットをはじめとしイラクの大部分は空爆をされたわけです。フセイン政権を打倒するためにフセインの建物は先ず壊されます。そして、フセインを支持する国民生活をズタズタにしないといけないわけですから、先ず発電所を狙うわけです。次に電話局を壊す。テレビ局を壊す。ライフラインを全部切るわけです。
 去年の4月9日フセインの像が倒れた時点でバクダットは停電しているわけです。バクダット市民はそんな事をされたけれども、フセインを打倒してくれたわけだから、アメリカが打倒後は一気にライフラインを復旧してくれるだろう、と思っていた。
 しかし、フセインが妥当打倒されると、それまではフセインのもとで働いていた人が、フセインがいなくなって一瞬にして失業したわけです。だいたいの比率でいうと100人の警官が失業して、次にアメリカのCPAに雇われるのは20人位しか雇っていませんから、残りは一気に職を失ったわけです。
 国際支援が入りドルが流通し物価が上がる。アメリカの占領が長引くにつれゲリラの反発も激しくなり、だんだん治安が悪くなる。そうしてみると、普通の市民にとってみれば、ライフラインは切られてしまう、失業はする、物価は上がる、治安は悪くなる、ちょっと自由はなかったけれどもフセインの方がマシではなかったかということになるわけです。
今、アメリカに対する感情が非常に悪くなっている時に、ファルージャとかナジャフとかアルサドルシティでアメリカは大虐殺をしたわけです。ここでイラクの人たちは堪忍袋の尾が切れた状態でイラクの全土で戦闘が収まらないわけです。

※これよりビデオ・スライドの上映…ビデオ・写真の説明の中から

・バクダットの子供病院
劣化ウラン弾が大量に撃たれました。この病院には小児ガン専門病棟がありますが、小さい子供たちは白血病ないしリンパ腺ガンに襲われているわけです。
この女の子は7歳で6ヶ月前から白血病を発症しております。



この子は4歳で右足のつけ根のところにソフトボールくらいの腫瘍ができておりこの時点で白血病の末期だったのです。抗がん剤を打とうと思えば月4万円位かかります。両親は失業しておりまして、点滴だけの治療しか出来ずに、この子は3月に亡くなりました。



この病院には50人位子供がいるのですが毎週2〜3人亡くなっています。戦争で兵士が死ぬのはまだわかりますが、実際には何の罪もない子供たちが兵士の数の何十倍・何百倍と死んでいく。このお腹の大きな子供も死にました。体内の排泄物を出せなくなって死ぬ子もいます。(P−3)これはビデオだけで写真はないです。

アメリカは劣化ウラン弾を使った事は認めています。湾岸戦争と今回と…。ところが劣化ウラン弾で子供たちを中心としてガンが広がっているということは認めていないので、この子供たちには何の援助もありません。国連も赤十字も入っていませんから国際的な援助もとても届きにくい状態で、神が助けてくれるのを待つだけだという状況です。


2.今回のイラク戦争の本当の目的

・石油省のビル
ここは本来ビルがたちならんでいたところです。空爆でやられた中で石油省のビルだけが残っています。これを見るだけでアメリカはこの戦争はオイルのためにやったんだということがわかります。

・難民キャンプ


イラク北部のクルド人地区です。NGOの方々が勇敢にもここで支援活動をされており、日本人の一人を取材に行きました。
クルド人たちはフセインの時代に非常な弾圧を受けまして、サリンガスを使われ18万人が殺されたり、家を奪われたりしましたのでこの様な難民キャンプが必要なわけです。この土壁で出来たキャンプで長い人で10数年、短い人でも3年は住んでるわけです。
サリンを使われているので後遺症に悩む患者が多く医療支援が欠かせないわけで、日本NGOのピース・イン・ジャパンが入ったことによって難民が救われています。


3.劣化ウラン弾について

・9歳の子供


お父さんが湾岸戦争の兵士でその戦争で劣化ウラン弾を浴び被爆しました。その被爆二世として生まれてきて、7歳の時に首筋にガンが出来まして、その時はまだガンも小さかったのが、今回の戦争で劣化ウラン弾を大量に撃たれた地域に住んでいて、それから6ヶ月でガンが見る見る大きくなって二重に被爆した子供です。お父さんもガンでして、親子でガンと闘っています。この子は入院も出来ずに外来患者で通ってきていますから、今回はこの子の安否を知ることはできませんでした。

・爆破された赤十字ビル


救急車で突っ込んだ自爆テロにより爆破された赤十字ビル。赤十字の職員も2人亡くなりました。この事件以降赤十字はイラクから引きまして、今現在赤十字を通じてはバクダットへ医薬品は届きにくい状態になっています。

・サドルシティ


サドルシティは、人口100万人でほとんどがシーア派で熱烈なサドル師の支持者です。普段は普通に働いていますがアメリカ軍がやってくると銃を持って戦う民兵です。4月7日に大きな銃撃戦があり、これは戦車砲で撃たれた家です。この家では子ども3人を含め親子5人が殺されております。何でこの家が狙われたかというと、この家は洋服屋さんだったのですが、この家にはサドル氏の肖像画が貼ってあった。ただそれだけの理由で撃ったのです。ゲリラ狩りに名を借りた大虐殺で、この町だけでも一週間で250人殺されているわけです。
この人はゲリラの幹部です。勇敢な人で米軍の戦車をやっつけたんだそうです。
戦車の中で笑っている米軍の兵士の写真を見せてくれました。米兵の遺体からネガを奪い取って現像したらこういうのが出てきた。米軍たちは石を投げてきた子供を撃ち殺して倒れた子供を戦車で引いていって、その後戦車の中で笑っている写真です。ゲリラは非常に怒っていました。
刑務所での虐待事件は、米軍は人間の心を失ってきますから、あの人たちが悪いのではなくて、アメリカがシステム的に訓練でそういう事が出来る人間を作っているわけです。
どこで訓練されているかと言うと沖縄なんです。人間を人間と思わない教育をされますから、撃ち殺した後ピースサインで笑える神経になってしまうのです。

・サドル軍本部


ここはかっては警察署だったところです。サドル軍が奪い返してサドル軍の本部になっています。一昨日の新聞を読みましたらここに戦車砲がだいぶ撃ちこまれたようです。
 今、アルサドル市はアメリカ軍の支配が及ばない地域になっています。アメリカ軍は逃げていきましたから、ここにいた警察官は青い制服を脱ぎ黒のサドル服に着替えサドル軍となっています。

1988年にフセインがサリンガスを撃って何万人ものクルド人を殺しましたが、当時アメリカはフセインを一言も批判していません。その時にはフセインを批判せず、今回、大量破壊兵器がないのにアメリカは戦争を起こしたのです。

・フセイン打倒の広場


フセインの像が倒された広場です。一年後の今は鉄条網で中に入れなくなっています。もし解放一周年を祝う人々が集まりますと、最初の内はフセイン打倒万歳と言っていた人が、すぐにアメリカ・ゴーホームになりますから鉄条網を引いて戦車のアナウンスで中に入ったら殺すと言っていました。


4.紙一重だった人質事件
現地で高遠さんが写っている新聞がありました。4月13日付です。アラビヤ語で、「彼女達は何も悪い事はしていない。人道支援で来たのだ」という記事が載っています。
イラクの人たちの間では、高遠さんは結構有名でして、「人道支援に来た人を誘拐するのは良くない」という反応がほとんどです。ただ、「ゲリラが誘拐するのは良くない、やり方は良くないけれどもゲリラ側を支持する」と言う人も多くいます。アメリカ軍の大量虐殺もよく知られており、「誘拐という方法は良くないけれどゲリラの心情はわかる」というのが多くの世論です。
3人は、4月16日に解放されましたが、決して日本政府が対応したからではなくて、高遠さんとか今井君の活動がゲリラにわかったからです。彼女達の活動がイラクの人たちにとって良い事だったので解放してくれたわけで、もし、高遠さんらが自衛隊の支援に来ているとなったら殺されていたわけですから、何も日本政府に感謝とかお金を払う必要はないのです。むしろ小泉首相の「テロリスト発言」で彼らが態度を硬化させ解放が延びたのですから、小泉首相に損害賠償を請求しても良いぐらいだと私は思います。

・アフガニスタン国境近くの難民キャンプ


 このテントはフランスのNGOが配給したものです。この時点でアフガンは危険だということで国連もユニセフも入っていないのです。入っていたのはNGOだけなのです。もしフランスのNGOが入っていなかったらこの女の子は死んでいたかもしれません。そういう意味では危険を冒してでも「行かないといけない時には行かないといけない」わけで、高遠さんらの活動は非常に有意義だったと思います。


・野戦病院
 この8歳の少年は、自宅にロケット砲を撃ち込まれてお兄ちゃんは即死で自分は右足を失ったのです。



 この男の人はアフガニスタンで、ロバで行商をしている時に地雷を踏みました。


アフガニスタンには推定で1000万個の地雷が残っております。人口が1500万程度ですから人口1.5人に1個の割合で地雷が残っています。地雷は誰かが踏むまでずうっと地雷ですから、今後このような事故が増えるだろうと思います。ちなみに地雷を作っている国はアメリカ・ロシア・中国です。


・劣化ウラン弾についての補足
 劣化ウラン弾は「悪魔の兵器」と呼ばれています。アメリカ軍は、1991年の湾岸戦争から使っています。対戦車攻撃用の兵器です。戦車の装甲が丈夫になって、従来の鉛の弾頭では貫通しなくなったため、鉛より比重の高いウランが使われるようになったわけです。劣化ウランは原子力発電所で核のゴミとしてできるものです。本来は地中深くに埋められるものをアメリカはこれを兵器として使ったわけです。
 91年の湾岸戦争、95、96年のボスニア、99年コソボ、01年のアフガンそして今回のイラクで使っています。今後また空爆する時には、国際世論を高めない限り、アメリカはまた必ず使ってきます。早急に国際的に禁止条約を作って止めていかないといけない兵器だと思います。
 戦争が終わって被弾した戦車で子供たちが遊ぶと、パウダー状になったウランを吸い込んで、それが肺の中で核分裂し体内被曝することになります。米軍はサマワでも使っているので、日本の自衛隊員も、もしかすると被爆する可能性があります。自衛隊員は20代の屈強な若者ですから自分には出なくとも、彼らの子供に5年先10年先になって出た場合、その時訴訟を起こしても責任者の小泉首相はもういません。アメリカででは、湾岸戦争の時に劣化ウラン弾でガンになった人たちが、すでに訴訟をしております。
 


5.クルド問題など中東の諸問題について
 ターニングポイントは1979年にあると思います。この年、フセインがイラクで大統領になっています。もう一つはソ連がアフガニスタンに侵攻しています。三つ目はイランでイスラム革命が起こりましてホメイニ師が元首になっております。
 イランはそれまでアメリカに忠実な同盟国だったわけです。ところがここでイスラム革命が起こりまして、アメリカに対してまったく正反対の国になるわけです。アメリカには大きな痛手でした。まずイランの石油利権を失いました。
 アメリカはイランを失っただけでも痛いのですが、イランというのはシーア派の国でして、この革命に刺激された周辺の国々のシーア派が立ち上がっていくのですね。
 シーア派を押さえるために、スンニ派のフセインを使ってこれを押さえつける必要があったのです。
 それとホメイニ師がイスラム革命の輸出を始めていくわけです。イラクやクウェートやサウジがイランのようなイスラム原理の国になることをアメリカは非常に恐れたわけです。
 中東を失うということはアメリカにとってはエネルギーを失うということです。どうしてもイスラム革命をイラン一国で止めたかったのです。
 その空気を微妙に読んだフセインは「アメリカは自分を支持してくれる」と思ったのでしょう。なおかつ、フセインはバース党ですからソ連とも友好関係にあったわけです。ソ連はこのときアフガンで忙しかったのでフセインは今がイランを攻める時だと思ったのです。それが80年に起こりましたイラン・イラク戦争なのです。
 イランという国は強大な国です。シーア派は死を恐れない軍隊です。思い切り反撃してくる。もう一つ地図に載っていないクルドという国がイランとイラクの間にあって、1988年の戦争末期は、イランイラク国境あたりのクルド人たちがイラクのフセインの支配に対して立ち上がるわけです。イランから武器をもらって戦いだすわけです。
 88年の時点でフセインは焦るのです。イランを落とすつもりが逆に返り討ちに合いそうだと…。焦ったフセインはサリンを含む化学兵器をクルド人たちに、自分の国の国民に打ったわけです。イランはたまらないので国境を元に戻して停戦になった。
 おさまらないのがフセインで、思い切りお金も使い軍人はたくさん死に、あげくが停戦だと…。アメリカのために戦ったのに…。面白くないので90年にクウェートへ攻めて行くのです。アメリカのCIAはイラクが「クウェートへ行っても何もしないよ」ということをほのめかし、イラクはクウェートへ侵攻する。
 そこでアメリカは手のひらを返して「フセインは独裁者だ」と言い出します。クウェートへ侵攻するまでは、アメリカはフセインをサポートしていたわけです。フセインはアメリカに巧妙にだまされたことになります。だから穴蔵で捕まったフセインの裁判はまだ始まらない。何故か?裁判を始めると、フセインは法廷でアメリカに都合の悪いことをしゃべるからです。現在、フセインはカタールの刑務所で薬物を注入され、しゃべれなくされた、という情報があります。 


6.「かゆいところに手が届く」本当の国際貢献を
 アフガニスタンの写真を見て気づかれた方もおられるかもしれませんが、地雷を踏むのは男ばっかりのように思われます。実は、女性の地雷被害者は病院にいないのです。
 イスラム教の戒律がたいへん厳格な国では、男の医者は男しか診ることができません。女の人が地雷を踏んで病院に運び込まれても、医者でも女性に身体に触ってはいけないのです。
 ですから、地雷を踏んだ女性は恐らく死んでいくのです。風邪が流行って肺炎になっても死んでいくのです。悪い事にタリバンの時代は「女の人は勉強するな」といわれ、女性の医者は圧倒的に不足しているのです。
 日本は豊かな国で、医療技術も発達した国です。ほんとうに国際貢献しようと思えば、アフガニスタンから女性を連れてきて大阪の病院で勉強してもらって、女医にして送り返せば非常に喜ばれるわけです。こういうことが本当の国際貢献だと思うのです。
 イラクもそうです。子供のガンが非常に多い、日本は広島・長崎を経験していますから被爆者が自分の死と引き換えに教えてくれたガン治療の技術というのがあるはずなのです。自分の命と引き換えに教えてくれた薬があるはずなのです。そういうのを支援すれば国際的にも名誉も地位も上がるわけです。自衛隊ではなくてこういう支援の仕方はいくらでもあります。
 その源が憲法9条です。平和的に貢献していくということで徹底して支援していけば、誰も日本人を恨まないし、日本は尊敬され地位は上がるし、日本の企業も出て行きやすいし、そうすれば景気も回復するわけです。憲法9条に基づいた貢献で今の閉塞した状況を打ち破る事ができると思います。



おわりに
 日本では「出る杭は打たれる」「長い物には巻かれろ」と言われています。長い物には巻かれたほうが楽だという意味だと思います。
 英語でいうと「きしむ車輪は油をもらえる」という諺があります。ただ、まったく意味が逆でして、「ただ黙って回っている車輪は油がもらえなくて、きしんだ車輪だけが油をもらえる」という意味です。
 スペインでは、思いっきりデモがあって、政権が交代して、スペイン軍はイラクから撤退しました。「きしむ」人が多いとそういうことが出来るわけです。
 今度参議院選挙があります。何党でもいいし、どんな勢力でもいいから、イラク戦争に反対する人を国会に送り込んで欲しい、と思っています。
 何十万人のデモを死ぬまでに一回やってみたいし、みなさんと一緒にがんばっていきたいと思います。ありがとうございました。