No.30 2002.3.18

 ホームページ開設記念講演会

『“ミレア”と“ジャパン”戦略のゆくえ』を成功させよう


 4年目の運動に入った大阪損保革新懇は、この4月「大阪損保革新懇ホームページ」を開設いたします。

 映画『郡上一揆』の自主上映は、362名の参加者で成功を収めることができました。
 4月の取り組みとして世話人会で確認しております職場シンポジウムは、野村代表世話人が上京し、押尾直志明治大学商学部教授(損害保険論)を迎えて『“ミレア”と“ジャパン”戦略のゆくえ』と題して講演いただくことになりました。

 政治・経済そして私たちの職場は、まさに激動・激震の状況にありますが、いよいよ職場革新懇の存在が問われる時期にきています。

 この講演会に多くの仲間の参加を呼びかけます。

『どうなる?どうする!損保の未来』第3弾

 今!あらためて、「この産業のありようを問う」

 1999年10月、経済同友会元副代表幹事・品川正治氏の『21世紀の経済社会と損害保険産業の新しい進路』講演会、昨年10月は保険ジャーナリスト(元保険毎日新聞編集長)中崎章夫氏の『顧客に支持される保険文化の構築へ』講演会を成功させてきました。 今回の押尾明大教授の『“ミレア”と“ジャパン”戦略のゆくえ』講演は『どうなる?どうする!損保の未来』第3弾として開催するものです。

 社会性・公共性の確立に向けて 国民世論・保険労働者の声を

 押尾教授は故笠原長寿教授(保険論・“損保調査時報”初期によく登場された)の門下生で損害保険論を専門に研究されてきました。これまで損保事業の健全性と金融行政のありかたについて、鋭い問題提起をされています。その主な論点は

◎損害保険事業の健全性が失われることになったのは、バブルと外圧を契機に推進されて きた金融自由化・規制緩和である。

◎今日の金融・保険業界の混乱と矛盾の原因は、行政が損害保険事業の健全性の確保とい う、保険監督行政の理念をないがしろにし、アメリカとわが国の大手金融機関・保険会 社の蓄積を助長するような政策を取ってきた点にある。その犠牲は、幾度となく国民・ 消費者、そして保険労働者に転嫁されてきたのであり、憤りを禁じ得ない。

◎保険行政は、損害保険事業の社会性・公共性の確立に向けて、国民世論・保険労働者の 声を真摯に受け止め、保険政策の抜本的な見直しをはかるべきである。


 講演会『“ミレア”と“ジャパン”戦略のゆくえ』

       講師  明治大学商学部教授(損害保険論)押尾直志氏

       日時  2002年4月17日(水)午後6時30分〜

       会場  AAホール2階大会議室(中央区淡路町3ー2ー9)

       会費  1000円


『全国革新懇』主催、全国交流集会で損保の仲間集う

 2月15〜16日、「全国革新懇」主催全国交流集会が大阪市内の会場で開催されました。第1日目は全国革新懇世話人会からの基調報告と5つの特別報告のあと質疑。第2日目は地域革新懇と職場革新懇に分れて分散会で経験を交流し合いました。

 特別報告の一つとして大阪損保革新懇に発言要請があり、野村代表世話人が今までの運動の経験・教訓と激動する損保再編情勢のもとでの革新懇運動の重要性や現在ホームページ開設準備を進めていることなどを報告、「職場に“革新懇の風を吹かせよう”」を合い言葉により奮闘する決意を表明しました。

 この交流集会に東京・新潟・石川・香川から7名の損保の仲間が参加、大阪の8名と合流して心斉橋の居酒屋で深夜まで交流を深めました。参加者全員は2年後の全国交流集会にはもっと多くの仲間の参加をよびかけ、盛大な損保の仲間交流会を実現しようと誓い合いました。

 

山梨県「職場革新懇」結成総会、野村代表世話人が講演

 3月5日、山梨県甲府市で山梨県下初の職場革新懇「平和・民主主義・生活向上をめざす山梨職場革新懇」結成・交流集会が開催されました。この結成集会に大阪損保革新懇野村代表世話人は東京地下鉄革新懇の丸山氏とともに講師として招かれ、二人はそれぞれの経験や現在の取組を講演し、新山梨職場革新懇の発足を祝いました。

 野村氏は「10年ぶりに山梨県に行きました。在職時代最後の社長が山梨県出身で、その社長から“首”を切られ、大阪に戻り、革新懇結成につながりました。今回の山梨職場革新懇誕生に尽力された桜井真作氏と初めてお目にかかりましたが、氏は日本火災出身でどうも不思議な縁を感じます」と語っています。

 『郡上一揆』自主上映運動

 470名の仲間と対話!362名が参加

 大阪損保革新懇・アイクル共催で開催した映画『郡上一揆』自主上映運動は、362名の方々が参加しました。革新懇会員の皆さんには、当日精算券と郡上一揆上映ニュースを送り、多くのみなさかのご協力を頂き成功させることができました。各職場では世話人を中心にご奮闘いただき、470名を越える仲間に普及する取り組みとなりました。

 なお、当日は198名の仲間が感想文を寄せていただきました。実行委員会では感想文集を発行する予定ですが、そのいくつかを次に紹介いたします。

◎このような映画を見る機会がほとんどないので、きょうはとても感慨深いものがありました。教科書で習う「一揆」では想像できない人々の思いや生活を見ることができました。(20代・女性)

◎税を使う人と出す人(大衆)との立場の違い、何と大衆の声の届きにくいこと、余りにも現在と同じと思うと何百年たっても何も変わっていないかと悲しくなります。訴える方のまとまりの大切さ、なにが目標なのかと貫き通すことのむつかしさ、相手の組織のずるかしこさ、いろいろと勉強になりました。

◎感動しました。ものすごいエキストラによる迫力と緊張感で圧倒され、何度も泣きました。時代背景は異なるけれど人の心の動きは変わらないものだなあと思いました。(20代・女性)

◎時代劇が好きで今までに種々見てきましたが、本日は唯々圧倒されました。名のある人で無く、地域愛、家庭愛に涙が何度流れたことか。(70代・男性)

◎上映中何度も涙しました。権力を持たない者は団結によってしか叶わない、非道理の社会が今も続いていることを考えさせてくれます。貴重な記録を残してくれた映画関係者や上映にかかわる人々に感謝します。(40代・男性)

 歴史を引き継ぐ、郡上の町を訪ねて(Ha・Na、女性)

 私は「郡上一揆」映画観賞後、タイミングよく映画の舞台となった郡上八幡に行ってきました。私たち一行には、岐阜農民連会長の岩田昭氏が案内してくださり、郡上の農民のたたかいについて感動的なお話を聞くことができました。

 白鳥町(定次郎の村)の傘連判状は、北海道に移り住んだ定次郎の弟が保管しており、昭和の時代になってそこの村長が「郡上」にお返しすると言って持ってきてくれたこと。
 郡上の総意ということで各村々から農民が集結したが、山を一つも二つも越えて集まっていたこと。また、映画作成には1000人をこえる住民がエキストラとして手弁当で参加し、多額のカンパや融資に支えられて完成したことなどを語っていただきました。

 最近は「郡上踊り」や「どぶろく祭り」で賑わい、民芸品や工芸品のお土産屋さんの立ち並ぶ趣のある町並みでした。

 真っ白な雪の山並みと透き通った川の流れに、私の心も洗い流される思いでした。もう一度行ってみたい、もう一度映画を見たいと思いました。