No.13. 1999.8.17

「広島原爆慰霊祭・革新町政南光町」平和バス・ツアーに40名

 初の「大阪損保革新懇」主催、「広島原爆慰霊祭・革新町政兵庫県南光町」平和バス・ツアーは8月5日出発、7日帰阪の日程で40名(内中学生3名、小学生4名)の参加のもと賑やかで楽しく、かつ意義深い「革新懇」らしいツアーとなりました。


平和の誓いあらたに 損保慰霊祭

 集合は5日夜10時半、淀屋橋ミズノ前でしたが、定刻相当前には全員集合という盛り上がりでした。飲み物・つまみを大量に積み込み、バスは11時に出発。

 ねむいなか深夜車中結団式で互いに自己紹介、日程を確認しました。

 6日早朝広島着、広島国際ホテルで朝食のあと平和公園内にある「全損保慰霊碑」前集合、平和祈念式を屋外テレビで見たのちに、「全損保慰霊祭」に参加しました。

 広島地協議長、海老原全損保中央執行委員(大阪地協書記長)や遺族代表の挨拶の後、参加者全員で平和祈念、亡くなった方々への慰霊の気持ちを込めて献花しました。

 団員の矢野望(のぞみ)ちゃん(小学年生)は自ら手折ってきた千羽鶴500羽を捧げました。

 慰霊祭終了後、「広島平和記念資料館」見学組と平和公園周辺の「慰霊碑めぐり」見学組の2班に別れました。

 中学・小学生団員全員は資料館を見学し、慰霊碑めぐりには自ら被爆者の「語り部」として活躍されている元東京海上の村田忠彦さんのガイドで説明を受けました。

 夜の交流会、「品川講演」で盛り上がる

 6日昼食後、広島を後に山陽道・中国道の風景を“満悦ドライブ”岡山湯郷温泉に到着し、汗を流しました。

 宴会は大いに盛り上がりました。議題の中心は10・8の「品川講演」をどう成功させるかに集中。すでに始まっている取り組みを交流しましたが、全員で「400名をめざそう」と確認しました。

 翌7日、南光町へ。車中で国の重要民俗資料として指定されている「農村舞台」で上演された子供歌舞伎ビデオを鑑賞。南光町名物「ひまわり」は全盛期を過ぎていましたが、まだ数万本の「ひまわり」は私たちを迎えてくれました。

 奈良時代、僧行基が開山したと伝えられる美しい「瑠璃寺」境内に山田町長の笑顔がありました。

 ご多忙中の町長から一時間にわたって南光町の歴史・産業・革新町政19年の経験と教訓のお話を聞きました。

 全員、山田町長のおだやかなお話しぶりと優しい人柄とともに「住民が主人公」の町政に感動。革新懇会員としても「国民が主人公」の社会実現に頑張らねばと思いました。

 7日夕方、みんなやや疲れましたが、いい思い出を心に帰宅しました。

「たったひとつのばくだんで・・・」小・中学生のみなさんの感想文

 スケジュールがきつかったけど、面白かった。原爆資料館は興味深かった。南光町では地域福祉センターがすばらしかった。老後はあんなところで過ごしたいと思った。町長さんは年より若くみえた。(中3、T君)

 いろんなことが知れて勉強になった。「なぜ広島に原爆が落とされたのか」などの展示を詳細にメモをとって帰った。南光町ではひまわりがほとんど終っていたのが、ちょっと残念でした。(中3、O君)

 学校の授業でも勉強やってたんだけど、ちょっとわからなかったこともあったのが、広島へ行ってものすごく勉強になりました。南光町では、もう終わりかけてたけど、ひまわりがきれいだった。(中3、Y君)

 たったひとつのばくだんで、広島の町があんなことになってびっくり。家とかいっぱいあったのに、なにもかもなくなってしまっていた。学校で、げんしばくだんのことを少し勉強していたので、しりょうかんを見てもっとわかりました。(小学4、U子ちゃん)

 「なんであんなことをしたのかなあ。めいれいしたひとはだれかなあ。いえとかがなくなってしまってかわいそうです。人のせなかやてに、あかいぶつぶつのあとものこって、かわいそうです。」(小学1、M子ちゃん)



「品川講演」に期待高まる 各職場のとりくみ

10・8一周年記念総会、「品川講演会」の成功に向けて、各職場革新懇の取り組みが始まっています。「大阪損保革新懇ニュース・NO12」と「案内ビラ」はすでに会員のみなさんには手渡し、郵送で配布しました。