2007講演シリーズ 第4弾 2007.11.15 アイクルの部屋
経済史から歴史を読み解く 幕末の通貨戦争
 兵庫県立大学経済学部長 松浦 昭 さん

講 演 要 旨

どう歴史的事実に向き合うか考えよう

 歴史には100%客観的なものはありません。
 100人の歴史家がいれば、100通りの見解があります。しかしそのことは、事実はどうでもいいということではありません。真実に向かってそれぞれの角度からアプローチするということです。みなさんも、「私ならどうこの歴史的事実に向き合うか」を考えてみてください。
(と松浦さんは切り出しました)
 たとえば江戸時代をどう見るか。封建的で遅れた社会という認識が一般的です。しかしそれはすべて正しいのでしょうか。明治政府の立場で考えてみましょう。「ご維新で世の中は大きく変わった。生活もよくなった」―庶民にそう見えるようにしたいわけですね。そのためには二つの方法があります。明治をかさ上げするか。江戸を低めるかです。さあ考えてみましょう。
(とみんなに質問します)

日本と諸外国の金・銀比率は

 明治はいまそのときみんなが生活しているわけですから、庶民の生活実感は変えようがありません。したがって「過去の江戸というのはひどかった」と教科書などに記述されることになるのです。
 (次いで、一両=四分=十六朱と四進法であることなど、江戸時代の通貨制度についてふれたあと)
 鎖国から開港となり貿易が始まります。するとただちに解決しなければならない問題が生じてきます。日本の金貨、銀貨とアメリカのドル金貨、銀貨をどのように交換するかです。ハリスとの間に結ばれた「日米修好通商条約」の貨幣条項には、「米国貨幣は日本貨幣と同種同量の原則をもって通用すべきこと」、「金銀貨・金銀地金の輸出は自由たるべきこと」などがもりこまれました。
 ところが大変な問題がありました。日本と諸外国の金と銀の交換比率が大きく異なっていたのです。日本は金1対銀5、対して外国は金1対銀15と、日本の金安・銀高でした。すると何が起こったでしょうか。
 (「さあいっしょに考えましょう」と松浦さん)

幕府崩壊の大きな要因に

 外国の商人や政府公使、領事たちは大量にドル銀貨を持ち込み、それを「同種・同量」で日本の銀貨と交換、さらにその銀貨(一分銀)で日本金貨(小判)を買い漁って、国外に「輸出」し大儲けします。こうして大量の金が流出したのです。幕府は対策に苦慮します。ここでも二つの解決方法があります。
(考えてみましょう)
 金の切り上げか、銀の切り下げかどちらかですね。
 幕府の官僚は優秀で、当初、銀の切り下げを図ります。しかし購買力の低下を危惧した諸外国の猛反発で、金の切り上げに方針転換を余儀なくされます。一夜にして金貨の価値が三倍になったわけですから、生じたのは?超インフレです。このことも幕府崩壊の大きな要因となったのです。

大阪損保革新懇ニュース 89 2007.11.22