大阪損保革新懇第6回総会記念講演録  2003.10.15 大阪府商工会館大講堂

「広い道の真ん中に立って、前方をしっかり見つめよう」
    ―平和憲法は世界の誇り―

   経済同友会終身幹事・日本興亜損保相談役  品川 正治


  講演目次: 
     三つの座標軸から考えよう
     日本の国家目標は何であったか
       1. 平和主義を守った
       2. 経済大国を実現した
       3. 中産階級国家を建設した
       4. 国土の均衡ある発展を実現した
     本当の民主主義とは何か
       1. 民主主義を問う
       2. アメリカを問う
       3. 小泉改革を問う
     変えようと思えば変えられる




三つの座標軸から考えよう
 みなさん今晩は。ただいま、ご紹介にあずかりました品川でございます。
 4年前、この会場での大阪損保革新懇第二回総会にもお招きいただき、皆様にお会いしました。あの時も、激動を予感しながら話をさせていただきましたが、本日のこの第六回総会も激動も激動の最中、きわめていいタイミングに開催されていると感心しています。また同時に、そういう総会に講師として招かれたこと私自身、心ひそかに誇りに思っております。
 今日は、『平和憲法を考える』という演題ですが、もう総選挙も間近、大阪市長選挙も間近というタイミングの中です。このような情勢の中でみなさん個人の座標軸というものを、どういうふうに考えるのかということについてできるだけざっくばらんに、私の思いの丈を申し上げてみたいと思っています。私の戦争体験の一つですが、足にまだ弾が入っておりまして、長時間立って話すのは困難なので、座って話をさせていただきます。

 まず初めに、自らの座標軸として何を置くか、というところから考えたいと思います。
 私としては三点を指摘しておきたいと思います。

 一つは、みなさま方自身が、日本の国の主権者であること。これをまず、忘れないでほしい。
誰かが政治をやっているのではありません。日本の憲法は明らかに国民主権を明確に規定しています。その点を十分に考えた上で、これからの選挙をはじめ、諸活動をやっていっていただきたい。

 二つめは、みなさんは今、国政選挙、それと大阪市長選挙という二つの選挙を控えておりますが、国政選挙であるということは、「日本を考える」という立場で考えることが大切だと思います。
国政選挙の意味を十分に感じ、考えながら、座標軸の前提としておいていただきたい。
「日本がどうあるべきなのか、どうなっていかないといけないのか」、こういうことを基本的な視点として失わないでいただきたい。

 三つめは、いま、私もふくめてみんなの日本の現状の見方は、狭い横路から一生懸命、前方を見つめている風潮が強い。そういう状態におかれていると思います。
きわめて優れた分析家であっても、極めて認識力の豊かな人であっても、いま自分がいるところがひじょうにせまい横路に入ってしまっているのではないか。それを自覚していただいて、街角へ出て、大通りに出てものを考えるという考え方が必要ではないかと思っています。

 今年、18年ぶりでタイガースが優勝しましたね。「変わらないだろう」とか「なかなか変わらないだろう」という狭い横路から見ていればきわめて選択肢が少ないのですが、そうではなく、表通りまで出て、街角まで走って出ていってものを見てほしい。そうすれば、違った景色が見えてくる。
タイガースの優勝もこういう見方で見ることを勇気づけてくれます。
 これからの日本を考える場合、これはぜひ必要な見方です。どんな問題でも、障碍の方がよく見えます。難しいということの方がよく見えます。しかし、街角に出て、見渡せば、もう少しちがった景色がみえてくる。いまの状況のなかでいかに正しい認識をしても、どうしても隘路ばかりが見えてくるというのが現状です。思い切って街角に出て、そこでどうするかと考えるような考え方が必要だと思います。この三つの座標軸を、忘れないで持っていただきたいということを最初に申し上げておきたいと思います。
 それでは次に、この座標軸を念頭に置きながら、平和憲法と関連させながら話を進めていきたいと思います。
 これからの日本はどうあるべきなのか、どこに行こうとするのか。
 このことを考える場合、若干固い言葉になりますが、戦後の日本の国家目標とはいったい何だったのか、その目標はどこまで達成されたかということを総括する必要があると思います。


日本の国家目標は何であったか

その1 「平和主義を守った」
 私は戦後の日本の国家目標を大きく分けて、四つあったと考えています。
 その1つは、戦後58年間、日本の国家目標としてきたものは平和憲法を守り、平和を国是としてきたということです。これは自信を持って言えます。
 この50数年、これだけ経済が大きくなりながら、世界中に日本人が出て行きながら、国家主権という名のもとに、外国人を1名も殺していない、日本はそういう国です。世界史の上から言っても、これだけの大国が、国家主権の発動として外国人を1人も殺していない。
 それと同時に、日本はこの50数年間、世界の各国どこにでもあるような軍と産業が癒着した「軍産複合体」というものをつくらさなかった、つくらなかった国です。アメリカのイラク戦争の動機や今後のイラク処理を考えても、「軍産複合体」があるかないかということは、日本とアメリカの決定的な違いです。…その代わりに日本では「公共事業複合体」ができたのですが…。しかし、軍産複合体はないと言っても、「重工業があるじゃないか、自衛艦をつくっている会社もあるじゃないか」という意見もあるかもしれない。確かにそういう事実はあるけれども、「軍産複合体」というかたちで権力を持っているような体制は日本にはありません。
 これは平和憲法がわれわれに与えてくれている最大の恩恵です。
 いま、このように名誉ある九条を改正しようとかいう動きがありますが、これはアメリカが編み出した先制攻撃理論と全く同根だと思います。
 せっかく世界平和のために人類が努力し、築き上げようとしているものを、そんなにあっさり、先制攻撃理論によって崩されることは、容認できません。
 同じように、日本の憲法の平和主義というのは、これはこれからますます光ってくるも筈のものです。しかしその前に、この50数年間この平和憲法を守ってきたという事実は世界史にも残る、誇るべきことだと思います。小さな国で、対外活動のきわめて少ない、経済活動も少ない国の場合とは違います。このことに自信と誇りを持ちたいと思います。
 世界第二の経済大国が、自分の国の国益のために、あるいは国家主権の発動によって、外国人を一人も殺していないという歴史は世界史にはありません。私はこれ一つ見ただけでも、いまの改正の動きはいかに大きな冒涜であるかと思っています。
 この憲法下において輝かしい日本の歴史をつくりあげているわけです。四つの国家目標のうち平和を守ってきたということに関して私たちは胸を張って、いいのではないか。
したがって、私は日本の国家目標の1番目は今まで達成してきたし、これからも守るべきものだと強調したいのです。

その2 「経済大国を実現した」
 2番目の国家目標は、経済大国を実現しようとしたことであります。
 あの敗戦の廃墟のなかで、よくもこんな大きな夢のような国家目標をつくったものだ、と思うくらいです。その時代、日本は占領下でしたが、米軍による直接統治ではなく、間接統治でした。ですから官僚機構はほとんど手つかずに残りました。それでもって、日本は経済大国を目標に戦争のようなつもりで、経済活動を進めてきたのです。戦争中は国家総動員法という法律で国民が戦争に駆り立てられましたが、戦後は国家権力が「経済大国を実現する」という目標を定めて、国民の力を全部総動員しました。
 占領軍は日本を韓国とちがって直接統治ではなくて間接統治にしました。日本の国民は官僚が描いた、経済大国を実現しようという、突拍子もない、大きな夢を必死になって実現しようとしたのです。そしてそのとおり成功しました。世界第二位の経済大国になるなんていうことは戦争直後の日本人では、だれ一人考えていなかったと思います。
 戦後「日本はどういう国がいいか」と考えた時、「スイスのような国」という感覚が一般的でした。
 ところが、それが世界第二位の経済大国になったのです。戦前は太平洋をはさんで日本が軍事大国・経済小国、今や経済大国・軍事小国。アメリカの軍事大国と対照的な姿になっています。
しかし、この経済大国を実現したということのために、日本としては失ったものも多くあります。
 何よりも、経済大国を実現するために必要であった恵まれた条件は、いままったく逆になりました。
 まず、国際情勢では冷戦がありました。その時、日本は非武装で冷戦に寄与するということから、日本は西側の兵たん基地になりました。だから日本がいくらモノをつくっても、いくらモノを輸出しても、どの国からも文句が出なかった。そういう役割だったのです。日本のようにいわゆる天然資源の少ない国では、輸出が経済の大きなけん引力になります。その輸出に関して世界の情勢は日本に兵たん基地としての役割を与えました。一方、アメリカはアメリカで、自由貿易主義という旗を掲げていましたから、日本の輸出が増えるということに関しても、高度成長の時期はどこの国からも文句が出なかったのです。
 それよりももっと基本的な点、すなわち経済発展にとって重要な点は若い優秀な労働力をどれだけ供給・追加できるかということでした。経済発展の最大のファクターとして若い優秀な労働力をどれだけ追加できるか、日本はこれができたのです。海外に500万人も兵隊として出していましたが、それがみんな帰ってきた。それと同時に、みなさん方もご記憶にあると思いますが、集団就職というかたちで若い労働力が全国から次々に生まれてきた。世界の中でこれだけ、うまく、成長の要件があった国というのはほとんどなかったと言えるほど、戦後の日本の高度成長の条件はそろっていたわけです。
 ところが、冷戦が終わりました。クリントンが大統領になった時、「これからの敵は日本だ」という演説をしています。「輸出するなら、輸入をもっとしろ」と。そういうかたちに問題が変わってきました。加えて労働力に関しては、少子化が問題になってきた。この問題は今後の日本のいろんな問題を考えるときに、どうしても避けて通れない、大きなファクターになってきています。経済活動の基本である労働力、特に若い労働力の追加どころか、少子化対策を論議しなければならない国になった。日本の経済大国実現の条件はこれほど変わってしまった。
 まったく逆になっているわけです。そういうなかでさらに成長を国家目標、国是とするということはどういうことなのか。アメリカに勝つということなのか、アメリカに経済力で勝つということを国是にしていいのか、そんなことできるのか。日本の経済大国実現の条件はこれほど変わってしまったにもかかわらず、いまだに成長という呪縛はずっと続いているわけです。経済大国を国家目標からまだ、おろしていません。
 私の言葉で言えば、すべての分野で成長の呪縛にとらわれてしまっています。
 太平洋戦争中に、年配の方はご承知と思いますが、ガダルカナル島をめぐっての激しい攻防がおこなわれ、日本はそこを失いました。そこを失った後、どういう戦い方をすべきなのかと、いうことについて当時の陸海軍の参謀部、日本人としての優秀な頭脳を持っていた筈ですが、「とにかく取り返さないといけない」ということに縛られて、そのために何十万人という、われわれの身内・同僚・戦友を失ってしまいました。
 いまも成長の呪縛に引っかかってしまって、たとえば厚生労働省のいろんな計画を見ても、「成長すればこういうやり方をいたします」という計画しか出せないのです。マイナス成長でもこれだけのことはやるのだという発想は役所ではできません。そのために、0コンマ何%の成長のために、何十兆というお金を使っているわけです。それは他の省も反対できないのです。
 厚生労働省にしろ、国土交通省にしろ、2ないし3%の成長を前提とした計画しか出せない、そういう状況におかれています。
 その意味で私は経済大国を国家目標としてきたこれまでのシステムをはっきり、「それは終わった。達成した」と総括し、そしてその次にどうあるべきかということを考えてもらいたいと思います。
だから、2つめの「経済大国化」の国家目標は引っ込めて貰いたいと考えています。

その3 「中産階級国家を建設した」
 三つ目の国家目標は、これはみなさん意外に思われるかもしれませんが、先ほどいいましたように、あの敗戦の瓦礫の中から、よくもこれだけの計画をつくったと思うほど経済成長をとげたわけですが、そのプランを描いてきたのは官僚だったわけです。官僚組織についていろいろ批判はありますが、少なくとも彼らが描いた経済大国というのは、「資本家の経済大国にはしない」と描いたわけです。「中産階級国家としての経済大国をめざした」わけです。これはすごく成功しました。
 財政をフルに使い、税制をフルに使った。とにかく、いまアメリカでよくいわれるように、社長の給料が何十億で、一般の社員と何百倍・何千倍という格差がある。日本ではそういうような形の経済大国はやらないというのが、日本の官僚の持っていた経済観です。
 少なくとも、世界でこれだけの中産階級国家をつくりあげた国はないと思います。一人あたりのGNPでは、断然1位でありながら、格差はきわめて少ない。そういう中産階級国家として発展してきた。
 しかし今日、日本は冷戦体制の終えんを迎え、現状のようになっているわけですが、少なくとも、その中産階級国家をつくりあげたということだけはまちがいありません。
 ただ、この中産階級国家というのは、中産階級が市民として社会を支え、国を支える、そういう自覚が必要なのですが、日本の中産階級は、まったく逆でした。せっかく、つくった中産階級国家ですが、「もっとよこせ」という中産階級にしてしまった。自民党は、この階級の人々に「もっとよこせ」といってもらわないと成り立たない政党です。「それを来年やってやる」「おれが国会でやってやる」、そういう要求を全部受ける。少なくとも、中産階級に欲求を持ってもらうことが必要だ、それが長らく政権を維持してきた自民党の姿であり、また、それが長期政権を維持してきた原因・理由です。
 ですから、国民の大きな塊である中産階級を、「もっと要求する階級」にしてしまったために、財政は破たんせざるを得なくなったのです。生活の苦しい人が、1万円よこせというのとちがうのです。中産階級の要求は1万円やるからがまんできる要求じゃなく、もつと高額の要求なのです。
 本来、中産階級国家になれば、福祉政策一つをとってみても、「おれはいらない、もっと困っている人にやってください」という階級が中産階級のはずなのです。
 ところが、「もっとほしい」「もっとほしい」という格好で、ずっとやってきたために、世界でいちばん財政が苦しい国になってしまった。誰が考えても不思議なことに、世界でEUにさえ入れない日本の財政状況になってしまいました。
 本当に福祉国家を実現しようとすれば、まず中産階級国家をつくるというのが定石であるはずなのです。日本は中産階級国家を実現したために福祉政策を推進するのにもっとも有利な国柄であったはずでした。しかし逆に、中産階級国家になったために、財政が破たんせざるをえない。奇妙な現象になっているわけです。
 これは税制・財政でつくられた中産階級であり、決して市民階級になっていない。中産階級の人たちが「おれが社会を支える・国を支える」「おれはいらない、本当に困っている人にやってくれ」と言う国が中産階級国家なのです。
 ところが、「もっとよこせ」ということをいってもらわないと成り立たないような、そういう政権基盤をつくってしまった。したがって、いまの小泉内閣の改革という問題一つ考えてみても、だれのための改革なのかと思わざるをえない。「もっとよこせ」という人のために、次々政策を打っている。
 これは大変な財政負担になります。しかし、私は日本が中産階級国家としてやっていく、資本家のための国家にしたくないという国家目標は続けてもらいたいという強い期待と希望を持っています。そこがはっきりしないのが小泉内閣です。経済界からも私の友人である牛尾さんや奥田さんが民間諮問委員とか財政・経済審議会に出て、グローバリズムへの対応とか、どんどん規制をなくす形を進めているわけですが、「あなたたちは資本家のための経済大国にしたいのか」と問わざるをえない。そうあっては困るのです。
 中産階級そのものを市民階級として、国家を支えていく階級に変えていく政策に変えていけば、日本ほど財政負担が少なくてすむ国はないわけです。
 ですから、私は中産階級国家としての国家目標は続けてほしいと思っています。そして福祉国家をめざしてほしいと思いますし、またそれは可能だと思います。

その4 「国土の均衡ある発展を実現した」
 4つ目の国家目標は国土の均衡ある発展をめざしてきたということです。日本のそれこそあらゆる長期計画、すなわち河川○○ヶ年計画や、港湾○○ヶ年計画、あるいは道路○○計画などはすべて国土の均衡ある発展というのを目標にしてきたわけです。これらの計画は財政の制約からいいまして、もう続けようがないという状況に入っているのは事実です。ですから、その目標をおろさざるをえないと思います。しかし、問題の本質はそこではなくて、今まで国土の均衡ある発展の名のもとに中央集権が強化されてきた、国土の均衡ある発展をやるのは中央政府なのだという形で進んできたところにあるのです。
 これは明らかに、憲法でうたっている地方分権とまったくちがう形です。官僚たちの知恵は、「経済成長をやれば必ず格差が出る、しかし、資本家のための経済大国はつくらない」ということでした。同時に「産業格差とか、地域間格差もつくらない」、そういう政策を推行してきたわけです。これもかなりの大きな成果を挙げました。
 しかし、この分野での矛盾がいちばん早く出ました。だから私は、「国土の均衡ある発展のために、国家の均衡ある発展を失っているのではないか」といいたくなるほど無理が出ています。
 例えば、日本とアメリカは国土の違いは25倍です。ところが日本のセメントの使用量とアメリカのセメントの使用量は、まったく一緒なのですね。それこそ、誤差に近いくらい似ているわけです。  日本には113の一級河川があるのですが、そのうち112は、全部公共工事の対象になって、堤防がセメントで固められている。高知の四万十川たったひとつが、自然の流れの一級河川です。
 今後こういう政策は財政上からもつづけられない。しかし、中央集権という形だけは何とか残したい、残そうとしているわけです。それでありながら、地方分権という言葉をどんどん使っているのです。これは上手な使い分けですね。はっきり申し上げて、大阪の場合で大阪府と大阪市と仲を悪くしているわけです。京都府と京都市、兵庫県と神戸市も仲が悪い。中央にはどちらからも陳情が来るわけです。どっちのいうことも聴いてやるが、決定権・優先権は自分の方にある、そういう形できているわけです。中央の支配の仕方というのは、いかに上手かということをつくづく思います。
 地方の住民の方たちが、「本当に自分たち住民が決定する、自分たちが地域の主権者だ」という自覚を持てば、いろんなことが見えてくるだろうと思います。冒頭に述べた座標軸です。
 長野県田中知事と三重県の北川前知事はそれに引っかからなかった。というのは、長野県の場合は大きな市として長野市と松本市がありますが、県の方が上だということがはっきりしているわけです。三重県も同じで、四日市と津がありますが、知事と市長とどっちがえらいという論議が起こり得ない。ところが大阪・神戸・京都の場合はそうではない。本来、この都市は本当は地方自治を引っ張っていく責任を持った大都会です。しかし中央の仕組みのなかで、囲まれてしまっている。
 こういう意味で、国土の均衡ある発展ということを、「中央集権の道具にはしない。本当の意味の地方分権だ」という方向になっていかねばならないのです。
 ただ、地方分権といいましても、三位一体とか、一般の人には何を言っているのかよくわからないですね。もっとはっきりした格好で、地方分権は進められるのではないか、これも横路に入っているから分からない、大通りに出てみればいろんなものが見えてくると言いましたが、それと軌を一にする問題だと思います。
 以上のように私はこれまでの国家目標、すなわち平和主義を残し、成長の呪縛から脱し、中産階級を本当の市民階級にし、地方分権を実行するという4つの国家目標が望ましいと考えるのです。


本当の民主主義とは何か

民主主義を問う
 それでは、次にこういう国家目標に対して憲法はどうなのかということを考えてみたい。
 いま、世界全体が激動期に入っています。この激動の21世紀、私たちはどうしても次の3つの問いを発し続けなければならないと考えます。
 1つは民主主義とは何かということです。2つめは「アメリカに問う」。3つめは「小泉改革を問う」。
この3点です。
 民主主義とは何か。
 日本の場合、選挙制度・選挙権者・非選挙権者についてみても国際的にその制約がもっとも少ない国の一つです。選挙に出ようと思えば出られる国です。かつてのように婦人に参政権がないとか、あるいは財産に制限があるとかいう国ではありません。選挙制度としては完備している。さらに、アメリカの大統領選挙の時、如実に分かりましたが、字が書けないなんていう人は、候補者の名前が書けないからピンで穴を開けるという、そういう国民じゃないのです。ですから、選挙制度としては先進国中でも決して、そん色のないものを採っているわけです。
 しかし、本当にこれは民主主義なのか、私はあえて『国会主義』と言いたい。日本は役人がいろいろ法律案や予算案をつくったものを国会が通さない限り、それらは法律にならないという点だけはすごく、はっきりと守っている国です。そのために、官僚の上層部のエネルギーというのは、いかに法律や予算を、国会を通すかということに傾倒されてしまっているわけです。
 ちょっと余談になりますが、私は外務省の機密費問題が起こったときの民間委員をやっていました。少しご披露いたしますと、10回近く会合がありました。そのうち5回は役所の課長以上は全員退席してもらって、下級職員を呼んで実情を聞きました。聞いて見ますと、女性で家庭生活をつづけることはまったく不可能な状況なのです。国会開会中は朝の3時、4時にならないと帰れない。だから、どうしてもハイヤーを利用せざるを得ない。自腹で帰れといっても、例えば東京から町田はかなり遠いのです。大阪の感覚でいうなら、有馬まで帰るつもりでないといけないでしょうね。
 このような実態ですから、何とか機密費的なものを浮かしてファンドをつくらざるを得ないということは役所としてはあったと思います。労動実態を聞いて、委員全員の口から「労働基準法違反じゃないか」という疑問が出ました。役所の上層部は労働基準法36条を知らないのではないか。報告書にその1行を書くかどうかで、すごい議論になりました。「労基法違反している」と書いた場合、全省庁に及ぶ問題になります。官僚出身のある委員は、「品川さん、それを書けば革命ですよ」と発言されました。
 しかし、そのことより大きな問題は、「何のために残業しているのか」と聞きますと、「国会の先生方の質問書をつくる」と言う。もう片方の課はその質問に対する回答書をつくるというのです。最近は政務官などが増えましたので、その人たちが増えれば増えるほど、そういう人たちに説明してからでないと帰れない。役人が質問をつくり、回答をつくり、そして国会で国会議員同士にやらせるわけです。そのために残業をやっている。これが政治の実態なのか、そう思ったときに、いったい日本の民主主義は何だろうと。ものすごく大きなショックを受けました。
 脱線ついでにもう少しお話しましょう。その頃は外務大臣が河野洋平さんから田中真紀子さんに代わろうとしていたときですが、国会に向かって「あんたたちが悪いのよ」と言えるのは、田中真紀子さんしかいなかったと思います。小泉さんは最初、それを言わそうとしていたと思います。あの人が外務大臣として適格だとはだれも思っていない。ただ汚職をしている役所の原因を正していくと、国会にも責任がある。それを言ってくれという感じでした。ところが、そんなことを言えば全政党、全官僚を敵に回すことになる。それで彼女にこんなことを言わさないよう、首相官邸から外務省に指令が出た。彼女が、「振り返ってみたらスカートを踏まれていた」と発言したのはこういうことだったのでしょう。
 私自身のまったくの私見ですが、この時点で小泉首相は本当の意味での改革をやめてしまったなという感じを受けましたね。
 いまでも毎日のように続けられている国会論議というのは、質問も答弁も官僚が書いて、それで法案を通しやすいようにしているのが国会の姿なのです。そうすると国会とか、民主主義とはいったい何なのかということになってしまいます。
 だから、私たちは民主主義とはいったい何なのか、本当はもっと厳しく問わざるをえない。民主党は今回のマニフェストで、「官と政の関係の清算」ということをうたっていますが、本当にできるのかという点では疑問を持ちますが、問題意識を持っていることはまちがいない。

アメリカを問う
 もう一つの問いはアメリカです。
 欧州には思想的にも哲学的にもアメリカを問う基盤があります。アメリカは、それこそマックス・ウェーバーがいっているように、プロテスタンティズム、自由主義を正義としてやってきています。欧州には、キリスト教以前のローマ、ギリシャ時代からの思想・哲学があるわけです。ですから、ニーチェが問い、ハイデガーが問い、ヤスパースが問い、そういう問いはたえずされているわけです。キリスト教の正義だけが正義なのか、という問いはいつも問われているわけです。
 日本の場合はどうか。
 明治以降、近代国家を形成した日本としては、欧米に追いつけというのが国是でしたから、追いつこうとしている人を、批判するとか、根本的に問うなどということはナンセンスです。しかし、もともと日本には源氏物語をはじめ、日本の心というのがあるのです。世界に誇る伝統もあるわけです。
しかし、それでアメリカを問うという形にはまだ用意できていません。
 日本として「アメリカを問う」とことができるのは、「平和」です。この価値だけは、アメリカをはっきりと問うことができる価値です。一般的な普遍的な価値です。それを放棄してしまったら、いったいどういう外交やろうというのか。どういう国際的な役割を果たそうとするのか、まったくなくなります。強大なアメリカを問うということに関しては、日本は戦後58年間、とにかく平和憲法の字義どおりやってきたわけです。これはいまアメリカにとって、いちばん鋭い問いになっている。
この意味からも私は九条改正には反対です。私は決して戦争体験があって、負傷しているから、そういうことを言っているわけではありません。
 日本がこれからアメリカを問わざるをえない、そのときの最大の価値は平和ではないか。
にもかかわらず、改憲の議論が進められようとしています。平和主義を世界に訴えていくことこそ、日本の優先課題だと考えています。

小泉改革を問う
 もうひとつは、小泉改革を問わざるを得ない。端的にいいますと、だれのための改革をやろうとしているのか、ということに尽きると思います。
 この三つの問いには、みなさん方の、これからの総選挙・市長選挙にのぞむ際の座標軸として、ご自分の問いとしても持っていただきたい。私はもう、まやかしの民主主義はごめんだという感じを率直に持っています。いくらうまいことをいっても、それで日本が変わるはずがない。
 私はよく、経済同友会で、いまは慶応三年だということを言い続けづけてきました。まだ慶応四年(明治元年)にはなっていない。「あんたの慶応三年は長いな」とひやかされることもあるのですが、小泉総理は徳川慶喜だと思います。幕藩体制を壊す気は全然ない。武士階級のための改革はどんどんやりました。私は新しい改革、本当の意味の改革というのは、この次の次の内閣ぐらいだろうと思っています。


変えようと思えば変えられる
 私たちは横丁にいたり、隘路にいれば、何も変わらないと思ってしまいます。まわりにさえぎられ、青空が少ししか見えない。タイガースが18年ぶりに優勝しましたね。変わるのです。変えようと思ったら変わるのです。
 本当の改革というのは、そんなにむずかしいことじゃないのです。
 まったくのたとえ話ですが、もし、日銀の本社を大阪に移すという形をとれば、ものの見方は変わってくるはずです。明治以降の、すべて中央集権、東京へ東京へといった流れは、そこで変わるわけです。既に日銀は、大阪には万全の態勢を敷いています。関東大震災のような場合、たちどころに、大阪が全世界・全国内に向かって、金融をマヒしない、混乱させないような体制が取れます。
何も新しいビルを建てろといっているのではないのです。いまの中之島の日銀のビルで十分だということを前建築学会長が「中央公論」で発言しています。
 それをもし、「やる」ということを、仮にタイガースが日本選手権で勝った日にでも言えば、ドえらいことになるのではないか。しかし、そんなむずかしいことではないのです。どこかの政党のマニフェストに、総選挙まぎわになって入れれば、それに反対する大阪の代議士は出てこれないのです。日本銀行法の第七条だけかえれば、それですむわけです。
 変革というのはそのくらい簡単なのです。これは大阪から変化を生み出すには、もってこいだと私は思うんですね。いまの日銀総裁の福井さんは大手前高校出身で、虎キチです。前の総裁の速水さんも虎キチです。私も虎キチですが、2人ほどではない。だが、18年間、がまんしてきたのだという気持ちはみんな持っているわけです。いちばんうるさく反対する人は、東京の日銀マンでしょうね。子どもを高い私学に入れて、大阪に行けといけということになるのか、というわけですが、そういう人は別に来なくていいわけです。トップと本当のブレーンがいれば、十分やっていけるはずです。
それに造幣局まであります。これはどう考えても、成り立つ話です。ただ、この話は大阪から言いだしたらつぶされますよ。大阪のエゴだという格好になりますから。ここがむずかしい。だから東京のわれわれが言わないと誰が言い出すのかということになるのです。

私が表通りに出ろとか、街角に立ってごらんなさいというのは、そういうことなのです。
そういうことが起こった場合、ものの考え方が、人間どこまで変わりうるかということは、やっぱりその目で見る必要があるのではないか。
 そういう意味でも、これからもみなさんがいろいろ日本のことを考えられる場合も、やはり、表通りに駆け出して、そこで見てほしい。決して、どうにもならないという問題は、どこにもないのです。
 そういう意味で、乱暴な例を引きましたけども、「変える気があれば、変わるのだ」という思いで、ご自分の座標軸を決められた方がいいと思います。「これはむずかしい」「これはだめだ」といっておれば、何にも変わらない。
 私自身は経済界に身をおいて、会社を経営してきた立場ですが、そんな軽々しいことをいっていいのかという感じをお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、私自身は、変えようと思えば、変わるし、その変わる方向というのが先ほどいいました国家目標なのです。
 どう変えるか。それだけはっきりさせてしまえば、この国のあり方も、有権者としてどうのぞむかということも、自分で決められるものなのです。
 現役のときは、ここにおられる方たちと渡り合ったりしたという立場もありましたが、座標軸は変わりません。私自身としては、本当のことをみなさん方に訴えたいという気持ちでいっぱいです。
 今日は、日銀の本店を大阪へなど、少し口がすべりましたが、街角へ出てものごとを考えよう、日本を変えようと思えば変えられる、ということをぜひ、忘れないでいただきたいと思います。
来るべき選挙に当たっては主権者としての権利を、堂々と行使していただきたいと思います。
 私は4年前の講演の最後に、「大阪損保革新懇のみなさんが、本当の意味で変革の原動力になっていただきたい」ということをメッセージとして送りましたが、今回も同じ言葉をお送りして、私の話を終わりたいと思います。ありがとうございました。
(大きな拍手)