1999年10月8日 大阪損保革新懇第二回総会記念講演録
2000年3月1日刊 ブックレット『どうなるどうする 損保の未来』第一部所収

講演『21世紀の経済社会と損害保険産業の新しい進路』


講師 経済同友会元副代表・日本火災相談役 品川正治氏


講演目次

 はじめに −どんなことを話すのか−

 いま、日本企業がおかれている現状をどう見るか

 損保産業も同じ立場におかれている

 「企業社会」と「市民社会」との乖離

 損保産業に求められる三つの対応

  @料率破壊競争に歯止めを

  Aリストラは損保産業の社会的役割の発揮と矛盾する

  B代理店制度を守るのか

  二十一世紀、損害保険産業の新しい進路

  平和憲法のもとでの経済のあり方を考える

おわりに −大阪損保革新懇へのメッセージ



はじめに −どんなことを話すのか−


ただいまご紹介いただきました品川でございます。大阪損保革新懇結成一周年の記念総会という非常に印象深い時に、私がここでお話しできるということは私自身としても内心非常に感激しております。これだけ多くの皆さん方の熱意に私が応えうるかどうか、いささかの不安も感じますが、精一杯話をさせていただきたいと思います。

 今日、頂戴いたしました演題は『21世紀の経済社会と損害保険産業の新しい進路』という非常に大きなテーマです。わたし自身は現在も損害保険実務の世界でのプレィヤーのつもりでいます。そういう意味では、皆さん方と「これからの損保はどうやっていけばいいのか」「どうなっていくのか」と同じ問題意識や同じ憂いの上に立ってお話しをする、そういう立場であることを冒頭に申し上げておきたいと思います。

これからの損保を考える場合、何を座標軸に考えていけばいいのか、その座標軸のご参考になればというつもりでお話したいと思います。まずはじめに、この国の企業の現状と課題から話に入りたいと思います。そしてその後、損保産業の現状とこれからの進路をどう把へ、考えていくのか。そういう順序で、話を進めていこうと考えています。   



いま、日本企業がおかれている現状をどう見るか


 まず、この国の企業というものが、いまどんな問題にぶつかっているのか。

 ご存知の通り冷戦体制の終了後、いわば一言で言えば市場経済という大きな世界の流れの中で改めてこの市場経済の過酷さと冷徹さという2面に直面しているのが今の日本の企業の現実です。

 かつては人口7億の西側先進諸国の経済がいわば日本企業の市場でしたが、冷戦体制終了後は50億人の市場に変わってきているのです。しかも、それは物を買っていただく市場だけではなくて、供給側の市場もそれだけ大きくなっているのです。供給構造が大きく変わった中で日本の企業はどういった形でやっていくかという問題が出てきているのです。しかも、この問題以上に過剰資本の問題がいま企業にとって一番大きな圧力となってきています。それをどういう風にさばいていくかという難しい問題に直面しているのです。

 この過剰資本はかつて私たちがアダムスミスなどの経済学で学んできた資本ではなく、つまり事業を営む資本ではなく、単に利益にのみ関心がある資本と言えるでしょう。あるいは生産をするための資本ではなく、利益を追求するということを純粋の目的に持つ資本とも言えるでしょう。この過剰資本の増え方というのはすでに凄い水準に達しています。
 日銀総裁自身が言っておられるように、日本のゼロ金利政策のもとで「さらにジャブジャブ出すのか」「これ以上出せというのか」というところにも現れています。

加えて、実際に必要な貿易の決済の資金量に比べて40倍あるいは50倍といわれるデリバティブという国際短期資本も加わっています。この資本が求めているものは、生産の拡大とかではなくて、どこで利益が上げられるか、AよりもBの方が利益が高ければそちらにすぐ動いていく、そういう形になって動いているわけです。

その意味ではかつて私が社長をやっておりました時代とは今はずいぶん違っており、今の社長さんたちは大変だと思います。しかも日本政府がこの資本の動向を市場にまかせよう、そのような形で踏み切った以上、市場にいわば企業の「生き死に」「淘汰」までまかされている状況に入ってしまっているのです。それが最も強く現れてきているのが金融機関に対してであります。

日本の金融機関は「絶対に潰さない。潰さないからいくら力を持たせても構わない」という政策のもとで、例えばアメリカの金融機関と比較しましてもはるかに巨大な力を持っていたのです。「潰さない」日本の金融機関、したがってそこが産業を支配し、企業のメインバンクとして企業を支配していくことに関しても、「それで結構だ」という格好が続いていたのです。

ところが、金融機関の淘汰も市場にまかせるという形になり、昨今の大きな激変ともいえる動きが始まったのです。率直に言って、ごく一部の「勝組」と称せられる企業を除いては日本の企業は市場というものに対しては非常にぎこちないと言うか、あるいはコンプレックスを抱いていると言うか、私はそういう印象を抱かざるを得ないのです。

言い換えますと、日本の企業は商品を売るための市場に対しては世界的に見ても極めて習熟している企業なのです。だが、資本市場に関しては今までメインバンク制で守られてきたのです。ですから、そういう形でやってきた日本の企業にとってはそういう資本市場・マーケットというものに対してはそれほど意識しなくてもやってこれたのです。



損保産業も同じ立場におかれている


 確かに株価が高いほうが良いとか、市場の人気には気をつかってきましたが、よもや損保企業が市場によって淘汰されるかもしれないという心配は当時の私たちの社長連中の誰も考えていませんでした。しかし、現実に昨今の状況というのは不慣れだったからとか、あまり今まで意識していなかったからではすまない状況になっています。もう少しその点を深めてみたいと思います。

 過去においては、優秀な会社の社長あるいは優秀なリーダーの資格とは、会社と関係する全ての利害関係者ーすなわち株主・従業員・得意先・メインバンク・代理店などの方たち、そういう者を全部インサイダーとして抱える、あるいはインサイダーになってもらえるような人格と能力とを持つ人たちがエクセレントカンパニーのエクセレントリーダーとして評価されてきたわけです。その「インサイダーにする」ということについては労働組合さえインサイダーとして扱おうとするのが私たちの時代のいわば社長の役割でもあったわけです。決してアウトサイダーとしては考えないし、扱わない。


 ところが、資本市場だけはインサイダーには決してすることは出来ません。その点はその当時も今も変わりませんが、しかし現在はその資本市場が企業の最大の評価者になり、その「格付け」とか「株価」というのがその企業の最大の評価要素になってきたのです。
 これは私たちの時代と比較して、資本市場に対する恐怖心と言いますか、「なんとかならないのか」という焦りのような気持ちで付き合っているのが今の企業のトップの姿と考えてもいいと思います。しかも過去のトップリーダーたちに求められた全ての利害関係者をインサイダーにしていく能力、あるいは努力も従来以上に社内からも問われ、代理店からも問われ、得意先からも問われているのです。

その意味では今の社長さんたちは、過去に私たちがやっていた忙しさと少しも変わらない忙しさを毎日毎日の日程で抱えているわけです。代理店に会い、得意先に会い、「あそこの会社の社長は挨拶に来ているのにどうしてお前のところは来ないのだ」と言われれば慌ててその会社に行く。しかし、どうしてもインサイダーに出来ないものが一番大きな評価者として現れてきたという中では、内心そのための活動こそ社長として一番大事だと思いながらも、なかなか容易に過去から続いている伝統的とも言える活動形態からも抜け切れないでいる。


先程から市場が審判するようになったと言いましたが、何故以前ではそういうものに耐えられて、今ではそれに振り回されているのか。これは損保産業には必ずしも当てはまりませんが、バブルを引き起こし、バブルが崩壊したことによってバランスシートがどの企業も極めて悪化しました。過去においては「含み資産」の存在がステークホルダー間との利害関係を調整出来るものとしてあったわけですが、それが無くなってしまった。

無くなってしまうどころか、大幅に「含み損」を抱えるようになってきたということが一つ大きな問題です。ですから、もう市場に対しては市場の顔も立てながら、一方でステークホルダーとうまくやっていこうという手が使えなくなった。例えば、私が社長やっておりました時代と比較して、日本火災の「含み資産」は現在三分の一から四分の1になっています。これは大体他の会社も同じ比率でしょう。しかし、まだ失ってはいない、そういうのが今の現状です。

その上に「含み資産」があろうとなかろうと時価会計に変わるという方向が明確になってきた以上、もう「含み」という言葉自身が無くなったわけです。しかもその評価は市場がやっていく。このような状況に直面しているわけです。

一方、市場はその企業を評価するためにはその企業の「本当の姿をディスクローズしろ」という要求を非常に強く求めています。ここから市場との関係の問題以上に、もっと私たちが考えないといけない問題が出てきております。



「企業社会」と「市民社会」との乖離


 それは企業が市場に直面していると同時に高度成長期に作り上げてきた「企業社会」と「市民社会」とが非常に乖離しているという問題にもぶつかっているということです。

 市場との対応と社会との調和、この二つへの対応がその産業や企業のこれからの存立と発展に大きくかかわっています。つまり簡単に言ってしまえば、市場との対応と市民社会との調和という二つの問題を同時に解決しない限り、今後企業としてやっていけないという状況に入っているのです。


 この企業社会と市民社会との乖離というものは、高度成長時代という世界歴史からみてもあれほど成長のための条件がそろった日本の戦後の経済、これはもう再び実現することはおそらく不可能だと思うぐらい好条件がそろっていたことに大きな原因があります。

 企業社会というのは条件が整えばものすごい勢いで発展していけますが、市民社会というのは一歩一歩しか進めないのです。

 日本の戦後資本主義の発展の中であのように企業社会と市民社会とが乖離しましたが、どの国であってもあれだけ早いテンポで経済がすすんでいけば市民社会とのギャップは必ず出てきます。日本の場合にはその典型例でした。もう少し敷衍して説明しましょう。 

 たとえば土地の問題、土地の価格の問題を取り上げてみましょう。


 企業社会にとりましては土地の価格はいくら上がっても上がれば上がるほど担保力がその企業にとっては高まるという意味では良いわけです。一方、生活する市民社会の立場からみれば、働いても土地が手に入らないような金額になれば、その土地の価格というのはもう市民社会の価格ではないのです。


 それから、株価の問題もあります。

 株の値段というのは、それこそ市場が決めているので一つしかないはずじゃないかというのが普通の考え方です。しかし日本の場合は株価においても企業社会と市民社会の株価の乖離ができてしまっている。

 市民社会の株価というのは配当しかリタ−ンはないわけです。

 しかし企業社会にとっての株価というのは、特に損保のみなさん方はよくご存じだと思いますが、その株を何故買うかというと収保がその企業からもらえるから買うのです。だから配当だけを目当てに株を買っている損保会社というのはおそらくないでしょう。

みんな営業につながっている。だからリタ−ンというのは営業収支残プラス配当ということになります。企業社会の場合にはこういう格好になるのです。

しかし、株とか不動産だけではなかったのです。日本では他の物価にまで二重価格というものがでてくるようになりました。よく内外価格差といわれますが、私は内外価格差というよりも企業社会の価格と市民社会の価格の格差の方が社会にとっては問題が大きいのではないかと思います。例えば、1万円のメロンが当たり前という形で店頭におかれるようになりました。1万円といえば隣の中国の労働者の1ケ月分の給料です。

何故そういう価格がつくのか。これは企業社会の価格なのです。得意先の社長が病気で入院している時にお見舞いに持っていく、その贈答品の価格なのです。1万円のミカンを持っていったら病室が一杯になって置く場所に困るわけです。バブルの時にはあわやあらゆる物が企業価格に近いものになっていくのではないかという不安さえ感じざるをえない状況となっていきました。ネクタイの値段でも7万円、8万円というものさえ現れるようになりました。それは社長就任祝いに使うためのものなのです。自分の旦那さまにそんなネクタイを買って帰る奥さんはまずいないと思います。

そういう形でバブルの時代にはむしろ市民社会の価格が企業社会の価格の方に引きよせられるような状況になっていました。しかし最も切実な土地の問題からバブルは崩壊せざるをえなかったのです。土地は市民から絶対手の届かない値段になっている。それでも土地価格が上がり続けるなんてことは、これはできるわけはありません。こうしてバブルは土地から崩れ、株価から崩れだした。

したがって、バブル崩壊というのは企業社会の崩壊です。バブル崩壊、価格崩壊とマスコミが大騒ぎし始めた時でも、みなさん方つまり市民の実感としてはこれで当たり前の時代になったんじゃなかろうか、という気分があったことは当然だろうと思います。崩壊の最初の時点では日本の経済にとっても市民社会をささえている岩盤のほうは少しも痛んではいなかったと思います。企業社会が価格崩落・崩壊という形で大変なそれこそ惨めな状況に入っていきました。そこで企業社会の方は先程いいました市場との関係でリストラという形で色々な手を打たざるを得なくなってきたわけです。

結局、市民社会の方にもかぶってもらわない限り助からないという動きになってきたのが、ついこの間からの状況、現状なわけです。どうしても前の形をそのまま続けていく方法では今の状況打開にならない、打開できない。前の形という手口ではいかに模索しても解決策はでてこないわけです。戦後日本の成長システムでは打開出来ないところまで追い込まれています。

その意味でもこの国の経済システムは根本的な変革が要求されていることは否定できません。しかし、いま企業がやっているのは変革という名前をつかって改革という形でお茶を濁していると思うのです。経営責任の問題という形にできるだけならないような形、変革よりも改革という形でリストラばやりが現在の状況だと思います。



損保産業に求められる三つの対応


 いま触れてきましたように日本の企業がおかれている今日の課題を頭に入れた上で、それでは損保産業はこれからどうなのか、という問題に移りたいと思います。

 損保産業すなわち私たちの産業、私たちの企業はかって護送船団方式といわれた金融政策がとられていた時代には全くの優等生でした。あらゆる産業と比較しましても損保産業・企業は極めて真面目で、決して秩序を乱さない優等生でした。

 しかし優等生だった故に、損保産業・企業はビッグ・バンといわれる今日の大きな激変に対する対応はナイ−ブ過ぎ、かつ姿勢がグラついています。

 私は以下の三点にしぼって説明したいと思います。

その一つは、他産業ではとっくの昔にいわば価格競争というものを卒業してしまっています。そんなことをすれば自分で自分のマ−ケットを狭めるだけじゃないか。1円のコストを引き下げることがいかにむつかしいことか。値段を1円下げるということはどれだけその企業にとっては大変なことかを知りつくしているわけです。

だから損保が料率自由化になった途端、特に企業物件でみられる大巾な料率引き下げ競争は得意先企業の社長さんから見れば、一見得をしているように見えているかもしれませんが、その社長は「いったい損保はマ−ケットというのを知らないのじゃないのか。一度壊したマ−ケットを修復することはいかに大変なことか。値上げすることの難しさというのを知らないのじゃないか。一度低いレ−トを出してしまってから、それを引き上げることの難しさというのは知らないのじゃなかろうか」と考えていると思います。

料率への信頼が失われる危機と申さねばなりません。とっくの昔にどの産業も卒業してきた中で、いま損保は極めてナイ−ブな形で料率競争を行わっているわけです。そこで失ったものをどこかでとり戻さないといけないということが経営の中で毎日毎日論議されている。

その一つの回答としてリストラ策が出てきました。これからの損保のありかたを考える場合、けっして得策じゃないっていうことは冷静に考えればだれでも判ることを争って横ならびでやっているのです。

しかし、基本的に問題なのは「料率自由化になれば競争して料率を下げる。その下げることに対応できた会社だけが残っていくだろう」という考えです。あるいは、「残ったその会社がさらに料率を下げる力をもってくる。料率を下げる力をもてるということが業界におけるその会社の強さだ」と言う。このような論議で今日の経営者が料率の崩壊に対して目をつぶっている。あるいはそれを認めているという現状です。

私自身はが経済同友会という経済団体で、他の産業の価格の苦闘ぶりを見てきました。けれどもその連中は10年前にとっくに卒業してしまっているのです。他の産業の状況と比較するとき、このようなナイ−ブな形で損保産業が料率競争をやっていることに対しては本当に心を痛めざるをえません。レートダウンやレートカットで代理店も社員も苦労して頑張っている。しかも料率引き下げで失った収益をなんとか回収するためにリストラなどでやっていこうとしているのです。論理が違うのではないかと思います。

Aリストラは損保の社会的役割の発揮と矛盾する

第二の問題はそのリストラに関して述べたいと思います。私はこのリストラについてもこの業界は極めてナイ−ブなやり方で対応しようとしていると言わざるを得ないと思っています。先程かなり企業社会と市民社会との価格の乖離について説明しましたが、リストラで先ず行われなければならないことは企業社会がもっている贅沢さを一掃することではないでしょうか。この産業が持っている企業社会の贅沢さをリストラする。これが最も必要なリストラだと思うのです。これをやらないで人員や雇用に手を付けようとする。そしてそれを納得しろと言っても容易に納得できるものではないと思います。

その点ではまず企業社会が持っていた、そして今も持っている贅沢さをいち早く脱却できる産業というのが、本当の意味でのサ−ビス産業として社会に認められ、社会に役に立つことができると思います。サービス産業として社会の役に立つためにはこういう産業・企業に生まれ変わる決意がなければならないと思います。

この決意があってはじめてわれわれの言葉でいう付加保険料に対して社会の容認が得られるのです。そういう努力をおこなわないで、他の産業が10年前に卒業した価格競争の、その皺寄せを雇用などの問題に寄せてくるという形は取るべきではない。また仮に、雇用の問題を云々するのなら、今までは売上至上主義で、とにかく契約を取ってこいという経営方針、営業指導であったわけです。

そうではなく、一人一人が収益を上げることに最大の関心を持って活動するようになるならば、損保産業の場合決して剰員とか過剰人員というような問題は云々できる筈はないのです。一人一人が収益を上げようと努力している人達が多ければ多いほど、それは収益につながるわけです。当然のことでしょう。

ところが、先程言いましたように料率を下げてでも取ってこい、それが稼ぐことだというように教えておれば、いま言ったような論理は全く成り立たないわけです。
 この転換にどれだけ努力するか、これがどうしても損保としてはこれから考えないといけない問題ではないかと痛感いたします。

B代理店制度を守るのか

三つ目の問題は代理店制度にかかる問題です。

現在の損保各社のやり方は率直に言って60万近い代理店に不安を抱かせてしまっています。本当に日本における損保の主流は代理店制度を死守するつもりがあるのかどうか。これに関しては代理店の多くの皆さんは不安を感じておられるはずです。

今後とも商品を媒体にして参入してくる他の産業の資本は絶えないでしょうし、それはまた違った販売チャンネルを持ち込むだろうと思います。現にあるものとしてもディーラー、修理工場、銀行別働体、あるいは機関代理店などさらにこれから始まる窓販、そういうものと一般代理店とどう調整しようとしているのか。これに関しましても一般の代理店は極めて深刻な不安を持って眺めています。

またよく言われる通販とか、インタ−ネット販売という問題も絶えず損保の話題となっています。「現実にはそれらはまだ1%にも満たない。だから大したことではない」という形で答えているのが現状ではないでしょうか。 しかし、一般の代理店の方にとっては「会社としては密かに検討しているんじゃなかろうか」といういう考え方も拭い切れない問題とか不安としてあるのではないだろうか。

さらに、1300兆円と言われる個人の金融資産、それに色気を感じてあの手この手をつかって近付いていかないと、やっていけないんじゃないかという風に大手会社ほどそういう問題意識を持っています。これも代理店から見れば損保産業は何処へ行こうとするのかという不安を与えることにつながっていくと思うのです。



21世紀、損害保険産業の新しい進路


 このような損保産業の現状を見ますとき、やはりこれからの損保産業を考える場合にも何とかもう少し基本的なところで問題を考える必要があるのではないか、考えないといけないんじゃないかとの念を禁じ得ません。

 いったい私たちが従事している損保産業の社会的な役割というのは何なのか。先程言いました料率は引き下げていいものかどうかという問いに対する答えにもなるわけです。

 損保産業というのは経済社会にとっては唯一のブレ−キ産業なのです。全産業がアクセルを踏んでいる中で、われわれがブレ−キ役を勤めている訳です。そこにはこういうリスクがある、こういう危険がある、その危険を評価すればこれだけある。その危険を数値化して、それを社会に警告し、その役割を果たさなくてはならない産業です。ダンピングをするということは、その社会的任務の放棄であると言わざるを得ない。この意味でもダンピングをするということは、その企業の営業政策の範囲の問題ではなく、損保事業としての任務の放棄につながっていると言わなければならない。

 さらにこれからの益々大きくなるリスクに対してセ−フティネットと申しますか、その役割を果たすのがわれわれの産業なのです。言い換えますと、社会からお金を引き出して、会社が大きくなるという産業ではなくて、社会の安全を守り、リスクを補償するのがわれわれの役目なんです。

われわれの産業の本業というのは、われわれだけがやっている大きな役割なんです。他の事業に手を出す余裕はそれほどないと私は考えます。これだけ大きな日本経済のブレ−キ役を担うことは相当しんどい仕事です。全産業がアクセルを踏んでる中で、われわれだけがブレ−キ役を任じられている訳なんですから、それ以外の個人資産に対しての取組を考えるよりは、むしろ本業に徹底したほうが良いんじゃなかろうかと思います。それから先程のべた代理店との関係ですが、この国の損害保険産業なり、損害保険企業は代理店制度を死守する決意と力がなければ、日本の損保産業としての主力とは決して言えないと思います。

 私はいま、損保産業に求められている3つの対応を述べてきました。特に損保産業で欲しいのは本当に日本の経済社会で立派にブレーキ役を果たし、同時に全国の隅々まで代理店制度を通じてセーフティネットを張りめぐらして、国民生活を守り得る力を持ち、代理店の不安を解消し、代理店のフォーカストとなり得る力を持った損保会社が必要です。 

 しかし、それは相当な力がいります。そういうものを実現できるかどうか。

 これはこれからの、もう既に現実にいろいろな動きが水面下で行われているでしょうが、基本的に重要なことは本業に徹し、代理店をあくまで守って行くという姿勢に徹し、それを実現できる力を持った形での結集が行われるなら、先程申し上げた日本の現在の損保産業の様々な現状から脱却の道が見つかるのではなかろうかと期待しております。

 私は先程申し上げましたように、他産業の人たちとも付き合っておりますが、その産業の人たち、特に新しい日本の進路を真剣に考え、新しい経済システム、世界に通用し、しかも日本の社会に適合した新しい損害保険事業の展開を求めるリーダーたちの間から「「損保はバブルには巻き込まれなかったために、余裕がある。しかし本当は料率の自由化、続いて来る代理店の手数料の自由化、そこで混乱に陥る前に一つ思い切った新しい体制を考えるべきではないか」という声も耳に入ります。

本当に代理店を守り、海外損保の攻勢にも耐え、あるいは先程言いました料率引き下げ競争のようなマ−ケット−の混乱を正し、損保産業の社会的役割を発揮できるような「新しい体制」の時が来たと考えているのです。

 損保産業を考える時、われわれの役割というのは、けっして自己満足のために申し上げるのではなく、日本社会にとってはなくてはならない産業だという自覚です。それには信用・信頼というものがなによりも大事です。その信用・信頼を自らの手で崩すような愚かな行為だけはこれ以上続けない方で欲しい、そう思わざるを得ないと思います。



平和憲法のもとでの経済のあり方を考える


 最後に、私は皆さんの大阪損保革新懇に対するメッセージという形で今日お話できた機会にぜひ申し上げたいと思うことに触れたいと思います。私がなぜ経済同友会のなかで仕事をするようになったかといことであります。

 私は経済同友会のなかでやりたいことがありました。それは日本の平和憲法との関わりでした。日本は平和憲法を戦後ずっと維持してきました。しかし、平和憲法を持っているだけでは平和は維持できません。それを持っていることだけで、持っていることだけがイクスキューズにはなりません。私は率直に言って、大いに自分での責任を感じました。平和憲法にふさわしい経済を私自身は目指したかどうか。経済人として、平和憲法を持つ日本の経済人としてこうすべきだというような形でものごとを処理してきたがどうか。

 残念ながらこれらのことは私の行動原則に入っていませんでした。したがって、改めて平和憲法を持っている国の経済というのはどうあるべきかを追及し、何とか実現したいということが経済同友会での活動を通じての私の行動の原則になったわけです。

 日本のように高度成長を成し遂げ、これだけの経済規模を持った国が1%の拡大をするにも国際的には必ず攪乱要因になる可能性があります。その場合、この国際的に攪乱要因を起こさない平和憲法下の日本の経済の運営はこうあるべきだというその理念をきちっと持っていない限り、やはり、憲法によりかかっている、そういう形では経済人としては失格だったと思っておりました。

 その平和憲法に相応しい経済を追及するというのはいったいどういうなのか。

 一つは、国家経済に軸足をおくのか、国民経済に軸足をおくのかというのが、大きな問題になります。今までの成長期においては、あるいは多くの開発途上国にあっては、そういう問題は国家経済の発展イコール国民経済の発展と考えられてきたわけです。

 今や日本の経済はそのどちらを選択するか、選択することができるだけの力量をそなえてきているのです。というよりも、それをいつも問われるようなかっこうになっています。

 例えば、ついこの間あった話で皆さんもよくご存じの中央銀行と政府の対立といわれる二つの路線の対立がありました。

 いま、これ以上お金を増やすことの意味というのはいったい何か。中央銀行としては国民経済を守って行く立場から見ると、「お金を増やすことの意味がない、現在のゼロ金利は異常である」というような立場に立たざるを得ない。それに対して、「もっと資金を過剰にしろ」という要求がありました。

そのお金はいったいどういう形で国民経済に効果があり、目的があるのか。「市場が求めているからだ。投資家が要求している。だからそれに答えるべきだ」という言い方で市場の名を借りた形で既に対立が始まっているわけです。

 これだけの成長を遂げた国としては、もうどちらを選ぶかをはっきりせざるを得ない。また、選べる状況になっている。

 個人の家計部門が1300兆あるわけですね。それが含み資産だというふうに、財政の目から見たら思っている訳です。1300兆あるんだから国債はいくらでも出せるじゃないか。国家経済の目から見ればそれが含み資産なんです。企業の成長のために使えるだけ使っていいじゃないかという主張になってくるわけです。

 それを守っていこうとするのと、それを使うべきだというのとの対立がもう既に始まり出しました。

 別の言い方で言えば経済運営、政治運営の軸足を企業に置くのか、家計に置くのか。 

 平和憲法を持ち、国際平和を本当に希究する経済人としてはどちらに置くべきなのか。 これも同じような形でこれからは正面から問うていかざるを得ません。

もうひとつ、地方の経済の問題があります。

地方経済、地方自治をどう活性化するか、本当にそれを活性化する気があるのかどうか。 地方主権と言われるものを本当に築くためには、その経済的基盤をどこに置けばいいのか、現在では地方経済の活性化のためには、公共工事、これに期待せざるを得ないというのが国がとっている政策です。加えてそれに関与する立場の方たちはそれを強く要請しているわけです。

 私は経済同友会で財政税制委員長というのをずっと兼ねておりました。公共工事に関しましてはかなり手厳しく批判を加えてきました。アメリカの3軍、3つの陸海空全体の予算よりも日本の公共工事予算の方が大きいんです。そういう状況はいつまで続けられるのか続くはずがないじゃないか。そう申しはしましたが、逆にそれでは地方経済はどうやっていけばいいのかという問いには残念ながら明確な回答をすることができませんでした。

 ところがある時、人口4万ぐらいの中国地方の都市の市長さんとお話する機会がりましたが、その市長自身が今までの自分の仕事は自分のところからあがる30億円ぐらいの税金と政府から貰ういろいろな補助金だとかを合わしますと60億円近くなる。それをいかに増やすか、増やしてもらうために東京に日参している。

 しかし、ふと考えて、自分のガバーンしているその地域、そこに個人金融資産というのがどれだけあるかということを丹念に調べてみたというのですね。日本は縦割ですから地銀の支店はもちろん第二地銀・農協・漁協・郵便局、この数値っていうのは大蔵省さえわからないわけです。

 それを自分で調べてみたら4000億円あったと言うのです。1%動けば40億円、何とかそれを動かす手立てはないもんでしょうかと言うのです。

 そういうことから、その市長とは何度もいろいろお話する機会がありましたが、そこから始めるということは結局、個人・家計部門に軸足を移してものを考えていくというその段取りの中で、地方経済はどう活性していくかという問題に繋がってくるというように私自身も大きな勉強をさせて貰いました。

 公共工事を今までの形でしかやれないというのは、結局は国の中央集権を強める形になっていますし、中央集権の基盤の強化にしかなりません。

 私はアメリカの「軍産複合体」という言葉にならって「公共事業複合体」という言葉を作りました。中央の政治家・官僚から始まって、地方もがっちりとそういうかっこうができてしまっている。この形を更に拡大再生産する役割しか果たさない形で、果たして地方自治の、あるいは地方主権の希望は見えてくるのか。
 これも私は軸足を本当に企業から家計部門に移して初めて見えてくる問題であり、解決の方途が見つかる問題じゃないかと思います。



大阪損保革新懇へのメッセージ


 いろいろ申し上げましたけれども、皆さんの大阪損保革新懇が一本、本当の意味で平和国家に相応しい経済運営とは何かということを柱に立てて考えていかれればこれからいろいろな問題は見えてくるでしょう。

 平和憲法の理念は、損保産業に在っても過去のシステム、あるいは過去の業界秩序が大きく変革されることは目に見える状況が進んでいるなかで、どのやり方を「是」とし、どのやりかたを「非」とすべきかということを考える場合の基本的な視点にも役立つのではないかとも思います。

 皆さん方に是非そういう意味で、変革の原動力、本当の意味で変革の原動力になっていたただきたいということを私のメッセージとして送りたいと思います。長時間、ご静聴ありがとうございました。
(大きな拍手)