大阪損保革新懇第5回総会記念講演録
                 2002年11月18日 大阪府商工会館

『私たちは次の世代に何を残すか
                 残すことができるか』


    ジャーナリスト 大谷 昭宏 氏



   ◎2003.2.1寄せられた感想を掲載しました。

   開会あいさつと講師紹介   大阪損保革新懇代表世話人 野村英隆

はじめに

『企業に忠実』ではなく、『良心に忠実』に生きよう

法律に違反しなければ、何をやってもいいのか

ひずむ社会−2002年刑法犯罪新記録に

ベクトルを外に向けよう

今、日本はどちらに向かっているか

吉永小百合さんや先輩の発言・活動に学ぶ

−私たちは次代の子どもたちに何を残すことができるか


はじめに

皆さんこんばんは。ご紹介いただきました大谷でございます。大阪損保革新懇第5回総会にお招きいただきましてありがとうございます。

今日は現在日本の社会で起きているいくつかの問題に触れながら、「私たち大人が次の社会を担う子どもたちに何を残すことができるか」ということについて話をしたいと思います。

さっそくですが、今日は尼崎市長選挙で5党相乗りの75歳の高齢現職の市長が42歳の新人女性に敗れました。だいたい75歳もの高齢者を5党が相乗りで推薦するという神経が私にはどうしても分からないのです。最近、長野県知事、横浜・熊本市長などでどんどん無党派首長が誕生し、世代交代が進んでいます。あまり有権者をなめているとこういうことになって行くのではないかと思います。こんなわけで今日は少し気分がいいのです。

『企業に忠実』ではなく、『良心に忠実』に生きよう

さて、年末に近くなってきましたが、私は、今年のワールドカップの日韓共同開催が10大ニュースのトップになるのであれば、「今年はいい年だな」と思っていたのですが、おそらく日朝首脳会談や拉致問題がトップになるのではないか。今後それを上回る事件だけは起きて欲しくないと思っています。

私たちは日々事件を追っかけていますが、一方で今年ほど、企業の、もっと言えば人間の良心が問われた年はなかったと思います。いったい企業に働く人間は自分の良心に忠実に生きるのか、どこまでも会社に忠実に生きるのかがより問われた1年でした。

先程紹介された私たちの事務所発行の『関西電力の誤算』という本は、故黒田さんが単なる関西電力争議団の記録ではなく、日本航空の小倉寛太郎さんをモデルにした山崎豊子の『沈まぬ太陽』の関西電力版のようなものを「何としても本にしてくれ」と言い残されたのです。

これは人間の良心の闘い、人間は会社に対してどこまで尽くさなければならないのか、会社は人の良心まで縛る権利はいったいあるのか、そういうことを問いかけた黒田さんのいわば遺言であります。私たちは「必ず本にします」と約束しましたが、2年もかかってしまい、また大変な経費もかかってしまって、これは関西電力の誤算ではなくてうちの事務所の誤算ではないか(大きな笑い)。

この本がちょうど書店に並んだ頃に東京電力の原子炉トラブル隠しが発覚しまして、そんなタイミングもあり、お蔭様で結構皆さんに読んでもらっています。

東京電力のトラブル隠しにしても100人以上の人が知っていた。その29件の内9件は極めて危険な状態だった。福島と柏崎の発電所では人の命に関わる程の大事故につながる可能性があったのです。知っていた人たちにもお子さんもいれば、お孫さんもいる。大事なご家族がいるわけです。そういう方がもし何かあって、家族が大変な事故や危険にさらされるということが分かっていても、よくぞ黙って隠す、そこまで会社というのは大事なのかと、そこまで人間は良心を裏切れるのかというのが私には不思議に思えてなりません。

以前に東海村でJCOの事故が起き、その臨界事故を受けて1999年の12月に原子炉等規正法が出来ました。この法律のなかであらゆる日本の法律の中で1つも入っていない「内部告発者の保護」条項が盛り込まれたのです。ですから2000年になって、いまの経済産業省に「東電がこれだけの事故を隠している」という内部告発があったのです。

「この法律を変えておいて良かった、法律を変えることによって初めて東電の社員の中にもその良心に目覚めて『このままでは大変な事になる。人の命に関わる』という通告があって、東電のトラブル隠しが明らかになった」のかと私は思ったのです。

しかし実は、これは法律が改正されたことを知らない東電に派遣されていたアメリカ人技師が「私の身分保障はしなくて結構だ。今勤めているゼネラルエレクトリックを首になっても構わない。このまま放って置いたのでは日本人の生命財産が吹っ飛んでしまう。誰か一刻も早く対応を取って欲しい」という英文の手紙を経済通産省に送ったのがきっかけでした。あれだけの日本人の社員がいる東京電力の中からは告発がなかった。

人間は何に対して忠実でなければならないのか。あらためて企業の中にいる方、これは何も電力会社に限らず、例の牛肉偽装問題しかり。きっかけは36万円です。日ハムが国産牛として偽装した輸入牛肉はわずか36万円分。だれ一人も「たったの36万円で会社の信用を失うな」と言わなかったのが残念です。今、この国は救いようもなくなっていく一つの流れがあるのではないかと思わざるを得ません。

法律に違反しなければ、何をやってもいいのか      

先程、損保業界でサラ金に出資をするという話がありました。今テレビの番組にはほとんどサラ金会社のコマーシャルが入っています。2年前、商工ローンのN社を取り上げたことがあります。あろうことか同社は私が出演している「サンデープロジェクト」の大スポンサーでした。私は同社がスポンサーをしている特集番組に10年間出ていましたから、私の10年間のギャラは同社から貰っていたことになるわけです。

同社は預金者がいないノンバンクです。何もない、何もないのにおびただしい数の中小企業の経営者が銀行の貸し渋りの中で商工ローンに走った。次から次へと追い貸ししていき、返済は厳しく追い詰めていく。「さあ、目ん玉売れ、腎臓売れ」と言って取り立てた。

ノンバンクはもともと預金がないわけですから、金主がいない限り貸すことはできない。いったい何処が金主になっているのだろう。調べてみると、あの住専で何百億円という国民からの公的資金を受けた農協が、農家に金を貸すのではなくてN社の貸主の第3位に入っている。N社の金利は現在29%になりましたが、当時39%というものでした。何処の世界に39%の利息を払ってやっていける商売があるか。そのためには、50%くらいの利益を上げなければいけない。今時のこの不況の中でそれだけ儲かる会社があったら、39%もの高い利子で借りるはずはありません。

農協は何をしたのか、大手の金融機関は何をしたのかということが問われます。

国から頂いた公的資金をそういうサラ金とか商工ローンに次から次へと回し、中小企業を苦しめている。貸し渋り、貸しはがしをやっておいて、その人たちがどうしようもなくなって行くところに自分たちの資金をつぎ込んでいく。

こんなお人よしの国が何処にあるのか。それで怒らない国民なのか。

確かに、われわれのマスコミという仕事は人の不幸でご飯を食べている面があります。

しかしそれがあって、その先だからどうしようか、という時のためにわれわれの取材があるわけです。人間は良いことから学習するということはなかなかできない。何かあってさぁどうしようか、という時に『こんな時にこうしたらこんなひどい目にあった』という情報を知らせた方が大方うまくいくことが多い。逆に言えば私たちジャーナリストが社会を変えちゃおうとか、動かしてしまおうと思ってもそんなにうまくいかない。

われわれの仕事というのはただ単に不幸を伝えるのではありません。われわれにできることは皆さんに一刻も事実を早くお伝えして、社会のゆがんだシステムを変えて頂きたいと呼びかける面も持っているのです。それで事件のあった現場に出かけていって仕事をするわけです。

和歌山のカレー事件もそうです。高度障害保険をめぐって詐欺を働いた。しかも、カレー事件でも死者4人、重軽症者63人を出した。この事件は隣近所のトラブルから激昂して、仕返しをしてやろうとカレーの中にヒ素を入れれば大騒ぎになるだろうとやったとされています。私は許せないのはその事件に至るまでに林被告は生命保険ならびに高度障害保険で5億2000万円という金を手にしている。年間2000万円近い保険料を払い続けていた。自分たちが経営していた幽霊会社で赤の他人に生命保険をかけていた。会社が福利厚生のためにということで従業員に保険をかける、これは損金で落とせるということで、むしろ従業員の生活保障になるというわけです。

大手生命保険会社の和歌山支社ないし営業所でかたっぱしら、真寿美被告は保険をかけ莫大な保険金を手にして生活していた。私たちが保険会社に「これはおかしいのではないか」と問い合わせても、保険会社は法律に触れることは何もしていない、むしろ「そういうふうに論じられるのは、はなはだ迷惑だ」という言い方をするのです。

真寿美被告が経営していたと称する会社は何処から見たって完全な幽霊会社です。バランスシートを持ってくればいったいこの会社は営業しているのか、していないのか誰にも分かるはずです。そういう会社が年間2000万もの保険料を払う。そこで彼女たちが何をしているのかといえば、昼間は麻雀をやって、夜になれば焼肉を食いに出かけていき、後はカラオケで騒いでいる。こんなことをあの狭い和歌山という社会の中で保険会社は本当にご存知なかったのか。

私は一般的、常識的に考えてもこんな話は有り得ない話だと思います。にもかかわらず、保険契約高だけを上げていって、結果としてあれだけの人が亡くなってしまった。おっしゃる通り法律には触れていません。じゃあ、人間は法律に触れなければ何をやってもいいのか、法にさえ触れなければ金を儲けた方が利口だという結果が偽装牛肉事件や原発のトラブル隠しにつながったのではないでしょうか。

法律にさえ触れなかったら何をやってもいいのか、その結果として何の罪もない63人もの人たちが後遺症に苦しんでおられる。当時、お腹に赤ちゃんがいた方が4人いた。結果として、嬉しいことに4人のお子さんとも健常児で生まれてきている。だけど、お母さんたちはこの子がお腹にいる時にヒ素を飲んでしまった。いつ子どもに後遺症が発生するかも分からない。だから「将来的に不安のない道筋を作ってほしい」という願いが生まれてきました。

被害者たちが最初に考えたのが、あの真寿美御殿です。せめてあの土地を何とか裁判で押さえて、それを売却することによってそこから治療費が出せないかと手続きに入ろうと考えました。でもその時、大手生命保険会社は何をしていたか。とっくの昔に保険料の未払いがあるので保険会社共同であの土地を押さえてしまい、競売物件にしていた。

顧問弁護士を入れ法的手続きを済ましていた。あの時、お腹にいた赤ちゃんを含めて、この人たちはこれからの治療費をどこから出そうかと思いついた時には、「素人が今頃何を思いついたか」と言わんばかりに法的手続が済んでいる。

牛肉事件、カレー事件、東電事件にしても、法律に触れなければ何をしても良いということではなくて、あらためて企業とそこに働く人の良心が問われているのではないでしょうか。

ひずむ社会―2002年、刑法犯罪新記録に

現代の日本社会は日々殺人事件がない日はありません。日常的、恒常的に私たちの周りで事件が起きています。

私たちも「教育大付属池田小学校事件」以来走り回っています。私は34年、この仕事をしていますが、学校の授業中の子どもたちがあんなふうに殺害されるということは想像もしなかった事件でした。今、その公判が開かれています。

お母さんたち、お父さん達から、どんな子どもさんで,どんな風に育ててきたか、警察官や検察官が聴き取りをした被害調書を読みました。

これは、普通でしたら証拠文書として裁判官にに渡せばいいだけなのです。けれども、何とか宅間被告に人間の心を取り戻してほしいということで、これらの調書はすべて宅間被告を立たせたまま聞かせ、罪の重さを問う前に、人間の心を取り戻してほしいという気持ちで公判が進められています。

その調書の中に、解剖を終えて帰ってきたお嬢さんや息子さんの遺体を真ん中にして川の字になって、ご夫婦がモノ言わぬお子さんを真ん中にはさんで、まんじりともせずに夜が明けるのを迎えましたという記述が、実に8家族の中から3家族出てきたわけです。こういう調書が、8家族の中から3家族も出てきたというのは私としても初めてのことで、やはり幼い子を失った悲しみは大きいのだと痛感しました。

私は「今年はあれほどの池田小学校のような事件はなかった」と申しましたが、実は日本の刑法犯罪はとてつもない数で増えてきているのです。今,日本の刑法犯は267万件,国内だけの事件です。今年は上半期だけで去年を上回っています。

今年の最大の特徴は女性の加害者、同時に女性の被害者、これが圧倒的な数で急増していることです。つまり犯罪の中で女性が非常に大きなウエイトを示してきています。これは今年の突出した特徴です。もう1つは65歳以上の高齢者の犯罪,検挙件数が今年急増しています。同時にこれは毎年の傾向ですが、相変わらず幾何級数的に増えつづけているのが少年犯罪です。あきらかに65歳以上の高齢者なり、女性なり、少年たちなり、間違いなくこのひずみは社会の弱い部分に真っ先に襲いかかっています。

たとえば警察庁は『警察白書』を出しています。また、法務省は『犯罪白書』を出しています。われわれもあまり熱心に数字を見るわけではないのですが、よく眺めてみると、数字だけで色々物語っていることが分かる。むしろ余計な解説を見ずに数字だけを見たほうが分かりやすいことがあります。

たとえば昨年警察庁は「配偶者間における刑事事件の検挙件数」なんていうのを出しています。「配偶者間における刑事事件」なんて書かずに「夫婦喧嘩」と書けばいいわけです。平たく言えば、夫婦喧嘩をして警察官が来て、どちらかを逮捕しなければならない、どっちかを裁判にかけなければならないほどの派手なことになってしまったというものを「配偶者間における刑事事件の検挙件数」といっているのです。さすが、お役所ですね。

それを見ますと、例えば旦那さんが奥さんに襲いかかって、暴力を振るって警察官が逮捕する。男性から女性を襲うことのほうが多くて年間1333件あります。旦那さんが傷害とか暴行とか殺人未遂とかで逮捕される。逆に、女性が男性に襲いかかるというのは、これはさすがに10分の1くらいしかない。

ところが、1333件の男性が女性に暴力を振るって逮捕、起訴、裁判になったうち殺人、つまり奥さんを殺してしまったというのは1333件のわずか9%で、1割もない。ところがその10分の1、113件しかない女性が男性に襲いかかって暴力事件を起こして逮捕されたといううちの、殺人というのは実に7割以上になる。つまり、女性がプチンと切れて男性に襲いかかったら、7割は殺しているということになっている。

男性からすれば奥さんがプチッと切れて襲いかかってきたら生き残る確率は3割以下だ。半分も生き残れないということになる。この数字をお知らせしていくとそのうちたいへん夫婦仲が良くなる。とくに男性の方が静かになる。(大きな笑い)

平たく言いますと、そこまで女性達は追い詰められているという証拠なのです。いざとなれば自分の身が危ない女性のほうが、圧倒的に力量的にも弱い。ですから、就寝中とか泥酔中とかの事件発生が多い。つまり女性たちはそこまで追い詰められている。そのことがこの2002年の犯罪の中で見事に数字として表れているのです。

もう1つの特徴は、同時に65歳以上の犯罪が増えていることです。不況やリストラが進み、高齢者が再就職をするにしてもまず60歳を超えたらない。仕方がないのでガタガタ震えながら、出刃包丁をもって郵便局強盗をやったけれどもあっという間に逃げ遅れ、捕まってしまうということになる。そういう高齢者たちの凶悪事件が大変増えている。それともう1つ。これはもう、引き続いている傾向ですが,少年事件が増えていることです。

今申し上げたように、犯罪や社会のひずみが弱いところ、強い力を持っていないほうへばっかり向かっている。それは逆にいえば去年の池田小学校の子どもたち8人の死であり、以前の少年事件でもはやはり子どもたちが襲われている。

『ベクトルを外向けに変えよう』 

先日、来日された著名なイギリスのジャーナリストがこう言ったのです。

「日本という国は稀有な国である。これほどリストラだ、失業だ、デフレだ、金利は0.0何パーセントだ、お父さんの仕事が危うい、高校出た子どもたちは半数も就職していないというような状況になっている。よその国であれば、時の権力者なり、政権なり、体制に対してすさまじい怒りとなってぶつかっていくだろう。普通なら、もうとっくにその政権は倒れているか、そんなシステムは破壊させられているだろう。もっと非民主的な国家であればクーデターになるだろうし、軍事政権だったらその軍が倒すであろう。言葉が悪いが、発展途上国であれば暴動になり、焼き討ちになり、手がつけられない状況になるだろう」この言葉はわれわれ日本のジャーナリストからすれば、まさに不明のいたすところなのですが、鋭い指摘といわざるを得ません。

また、この方は続けてこうも書いています。

「民主主義国家といわれている世界の先進国で、制度として民主主義がありながら、いまだにそれだけの政権、それだけの権力をそのまま温存させているのは世界広し、といえども日本をおいてない。では何故ひっくり返らないのか。それはすべての人々が怒りや行動を内向きにぶつけて、より弱いところを、そこで処分することによって、人々は生き残っている。こんな残酷な先進国は見たことがない」 

この方が指摘されたように、私たちはそのベクトルを、自分たちの中で、より強いものにぶつける、権力にぶつけるということではなくて、誰か弱いものを探して、そこにぶつけていくことによって、その爆発しそうなエネルギーを消化している。そのぶつかっていく先こそが、今申し上げた女性たちであり,お年寄りたちであり、そして子どもたちなのです。

もっと言えば,昨年は児童虐待で56人のお子さんが命を失っている。すさまじい親たちの暴力です。私たちはいろんな取材をしますが、ヤケドだらけになった、骨まで折られている、アザだらけになった子どもたちを取材することがあります。このような姿を見ると、一体この子たちは何のために生まれてきたのだろうか胸を打たれます。

この子どもたちは、なぜこういうことをされるか分からないわけですから、死ぬまで「生まれてきたってことはこういう苦しいことなのだ」「生命を受けるということはこのように痛い目にあうことか」ということしか知らないで死んでいくわけです。

もちろん、どんな事件でもけっして私たちは辛くないことはないのですが、この子たちの事件だけはほんとうにやりきれない。せめて大人であれば、何年かの間には、楽しく皆で笑ったこともあった、あるいは誰かと愛し合った事もあっただろう。でも、この子達にとっては死ぬまで,生まれてから苦しいことしかない,明日はヤケドさせられるか、明日は骨を折られるか、あるいは水に浸けられるか、そういう日々しか知らない。そういう弱いところ弱いところへぶつかっていって、56人のお子さんがなくなっている。

これは死亡して検挙された件数ですから、表に出ない数は恐らくその千倍を超えるでしょう。数万という子どもがそういう虐待を受けているだろうと思います。

先程、刑事犯罪が今年は267万件と申し上げましたが、上半期ではるかに去年を上回って急カーブで上がっています。おそらく年間では280万件を超えるだろうと思います。その中で凄まじく、最たるものが少年犯罪の増加です。去年の少年犯罪の検挙者は13万9000人を数えています。で、発生件数から考えますと、今年267万件の刑事事件のうち、実に46パーセントを子どもたちがやっていることになるのです。今年の上半期の急激な増加を押し上げたのは、とりもなおさず女性たちと子どもたちの犯罪です。それからいきますと、残念ながら平成14年はついに日本の犯罪史上はじめて、少年犯罪が、業務上過失なんかを除いたいわゆる刑法犯の50パーセントを超えるのではないかと推測しています。                  

今、日本は強盗・放火・窃盗・傷害・窃盗というような犯罪の半数を子どもたちが引き起こしている社会になりつつあるのです。私はことあるごとに「もっと早く大人の社会は深刻にうけとめていただきたい」とPTAとかいろいろな人たちの集まりのたびに申し上げている。

子どもたちの犯罪が増えたといっても10歳、11歳、12歳くらいまではそんな強盗とか強姦とか放火はしない。13歳でもほとんどやらない。14歳ぐらいからはじまって、15、16、17歳と増えていく。18歳になりますと極めて大人の犯罪に近くなっています。この世代で検挙されたというのは、女の子は少なく、大多数が男の子です。実に267万件の半数を数える少年犯罪を、14・15・16・17・18歳がやっているわけです。その率からいきますと単純には言えませんが、残念ながらこれから先子どもたちが成人していくうち、数字のうえからいえば8人か9人の男のうち1人は必ず1回は警察の留置場を経験するということになります。これは現在の数字ではっきり確認できます。このまま増加していけば、7人か6人に1人は一度は警察の留置場を経験することになる。このような少年達が私たちの社会に次々に入ってきている。

この荒みきった状況を、大人社会は真剣に受けとめなければならない。はっきりいってこの社会はこれからどうなっていくのか。そのことをお父さんやお母さんたちや先生たちとお話すると「どうしてそんなひどいことになったのだろうか」「なんでここまで荒んでしまったのだろう」という答えが返ってきます。私は今申し上げてきたように、今日本はお年寄りたち、女性たち、少年たちのような弱い、弱いところに矛先が向かっていく社会になりつつあると思うのです。

では、損保に働く皆さん方に問いかけてみましょう。皆さん、「この15年間本当にいい社会だった。15年前に比べて本当に良くなった」ということに大きくうなずく方が果たして何人いらっしゃるか。「10年前はいいと思ったが、今はどうか」「5年前と比較して今はどうか」を問うてみてください。皆さん、やはり「15年前、10年前、5年前のほうがよりましだった」と思われるのではないでしょうか。

この15年間、大人たちはひどい社会を作ってきた。なのに、子どもたちだけに健気で素直で健やかに育てという方が無理なのではないでしょうか。その中で社会や企業はいつの間にか「偽装」であろうと「事故隠し」であろうと「法律に触れなければいいのだ」といわんばかりの社会になってしまっている。どうして子どもたちが法に触れないで生きることができるでしょうか。

私たちは内向きに弱いものに向かっているベクトルを、現実の社会や政治への怒りとして、すなわち外向きのベクトルにかえていくことが大切だと強調したいのです。

今、日本はどちらへ向かっているのか

加えて、今日あらためてお話をする時間はないのですが、1999年、「日の丸・君が代」法案が通って、「盗聴法」が通って、「住基ネット」が通って、その総仕上げとして「個人情報保護法」があり、「人権擁護法」があり、そしていよいよ再来年、「国民保護法案」というとんでもない法律ができあがってくる、そのような時代になってきています。もうわれわれマスコミに対する報道管制から、かつての物価統制から、それに土地の強制収用から、5人組制度の復活まですべて入り込んでいます。

国民が互いに監視しあいなさいということです。

もう「盗聴法」は通されていると言っても「報道関係は盗聴されていないのではないか」とおっしゃるかもしれない。しかし冒頭、私が申し上げたように、なんで内部告発がされないのか。

もちろん東京電力の社員に勇気がなかったのかもしれない。

しかし私たちの側からすれば、盗聴法が通ってから、どれだけ私たちに対する電話での通告が減っているか。明らかに告発者たちはみんな怯えながら、より慎重に架けてくるようになっています。この法律を通しただけで、充分に効果があがっている。

「盗聴法」で言えば、今、北朝鮮から来ておられる方たちが「すべての電話が盗聴されている」と言っています。だから「あの国にいる子どもたちが本当のことを言えるはずがない」とも言っています。私たちの国もそっちの方向に行こうとしている。

なんでああいう国に戻ろうとするのか。

私は1996年に、平壌に行ってまいりました。外国のテレビのインタビューは高麗ホテルで行なわれています。私たちが行った時も、外国人取材記者ですので高麗ホテルに泊められました。唯一まともなホテルはあれしかないということもあるのですが、北朝鮮の側は日本の記者さんは冷暖房完備のところにお住まいですから冷暖房がなかったらご不自由でしょうから、その二つそろっているのは高麗ホテルだけですと言って高麗ホテルに泊めてくださるわけです。その通り、この高麗ホテル、冷暖房完備で便利なホテルですが、もう一つ便利なことに盗聴完備です。何しろ何をしゃべったってまず間違いなく聴かれている。だから私たちも本社へ連絡する、局へ連絡するときもバカ話しかしない。「おーい、そっちはどうだ。そっちは冷麺がうまいだろう。冷麺いっぱい食ってるか」「まぁ、最初の日に冷麺食って、冷麺はうまいけど、これほど三食ごとに冷麺ばっかり出てくると、この国にはカレーライスくらいないのかな」って言ったら、翌日朝飯にドワーっとカレーライスが……。結構盗聴も便利じゃん。(爆笑)

でもこういう国から帰ってきたときに、しばらくは、ほんとうに人間の習慣って、たった四日や五日のことでも、電話がかかってくる度に、「また聴かれてるのかな、ああ、ちゃうちゃう、ここは日本だ」。歩き回るときにはちょっと後ろを振り返って「諜報部員が後続の車で来てるかな。ああここはもう日本だ。そんなこと心配しなくていいんだ」 。

その時に、私たちは少なくともこの平和憲法の下で、言論の自由が保障され、通信の秘密が保障されている、そういう国にいるのだ。そういう中で、報道の仕事しているのだということをあらためて思うわけです。

でもそうでなかった国、発展途上あるいは独裁の国々では、せめて日本のような国になりたいということで、多勢の若者がそれを希求して夥しい量の血を流したじゃないですか。あるいは、国によっては、夥しい若い命がこのことによって散っていったじゃないですか。

それほどまでにして、かの国の人たちは自由と民主主義を求めた。なのに、なぜ今、私たちの社会では、「ああいう国にはなりたくない」、その国に住む人たちは「こんな国はいやだ」と言ってた国に、今あらゆる法律で、限りなくそういう国に近づこうとするのか。

弱いところ、弱いところへとしわ寄せをして、子どもたちにとんでもない社会を提供して、なお私たちはその屋上屋をかさねて、これから先もより息苦しい社会を子どもたちに提供していくばかりではないでしょうか。にもかかわらず、「おまえたちが元気で、素直で、明るく育ってほしい」とは。言われたほうが逆にたまらないんじゃないですか。

もう一度、教育も医療も福祉も含め、あらためて私たちは、どういう社会をこれから子どもたちに提供していくのか。それは人々が生きていくこと、企業が活動することに共通して「良心の発露を持ちつづけなければならない」ということではないでしょうか。

吉永小百合さんや先輩の発言・活動に学ぶ


−私たちは次代の子どもたちに何を残すことができるか

私はそもそも日本の戦後が始まりました1945年、昭和20年生まれです。ですから、私の年齢というのは戦後何年と言うのと同じであり、大学の後輩におりました吉永小百合さんも同様です。余計なことを言いますが、彼女も同年3月13日、翌3月14日、栗原小巻が生まれております。

ただ吉永さん、この9月も大変暑かったのに、ご承知のように広島の原爆資料館には全部で70の説明があるのですが、今年だけで解説のテープを14個、吉永さんの肉声で吹き替えました。ゆくゆく5年がかりで原爆資料館の説明のテープをすべて吉永さんがご自分の肉声でやりたいと言われています。それ以外に原爆詩のCDを作ったり、あるいはあちこちの文化祭や高校などに頼まれて、原爆詩の朗読に走り回っています。

ちょうどわれわれの世代の仲間がおりまして、「あなたくらいの女優さんになって、なぜ、せっせせっせと原爆資料館に通ったり、そして暑い最中をCD持って走り回ってるの」と質問した時に吉永さんは何と答えたか。

彼女は「1945年、昭和20年生まれというのは、日本の歴史が書物として書き残されている上では、唯一、生を受けて生まれてきた命よりも、心ならずも散っていった命のほうが多かった。残念ながら、あの年に散らされていった命のほうが、生まれ出でてきた命よりもはるかに多かった。だから私たち1945年生まれというのは、その年に生を受けた者として、同じ年に心ならずも散っていった命に対して、生涯かけて、思いを馳せるのが私たちの仕事、使命だと思っている」と答えたのです。

その1945年、原点に帰るのであれば、私たちが10歳になり、もちろんあの時代はいわゆる粉ミルク・脱脂粉乳の世代でした。だけど10年経った時、時の経済白書は「もはや戦後ではない」と書き、周囲の大人たちも「もう戦後ではないんだ」と嬉しそうに言っていました。

そして私たちが成人する1年前、1964年、この日本は東京オリンピック。この年に日本経済は自立化したとしてOECDに加盟した。今日、大問題になっている高速道路が初めて東名、名神が開通したのもあの年でした。そして、1ドルと言えば360円とオウム返しに答えていた固定相場が変動相場制に変わりました。そして何よりも大人たちは「あの年生まれた子どもたちが来年は二十歳だ。昔だったら徴兵制度があった。なによりももう軍隊を持たない、もう銃も持たない、他国に踏み込まない日本だ」ということを誇らしげに、キラキラした輝く顔で、本当に目をキラキラとさせながら私たちに語ったじゃないか。

それに対して今私たちは子どもたちに「お前15歳か。ちょうどお前が生まれた年の株価が今と同じだよな。おまえは10歳か、失われた10年って知っているか」と語りかけているのではないか。言われたほうは気分がよくないのは当然でしょう。

こんなことしか語ってやれない今の社会と、貧しかったけれども少なくともみんなが、企業が、社会が、良心を持っていた社会。この国はどんな姿でありたいのかということを、それぞれがけっして豊かではなかったけれど、目をキラキラさせて、顔を輝かして語っていたじゃないか。

だとすれば、企業もそして個人も、みなさんも私も、もう一度、胸を張って子どもたちに語ってやれるような社会、そして企業を、今一度作り直す。そのことは、少年犯罪で少年法をどうしようかとか、犯罪に対してこんな法律を作ろうとか、言うことよりもはるかに遠回りのようで近道ではないかと思うのです。

今日、こうして5周年を迎えられました大阪損保革新懇が、そういう意味でも、今一度、企業の良心と働く者の良心、そして何よりも、企業と個人がどのような社会を作っていくのか、そんなことに思いを馳せる、すばらしい団体としてますますご発展されることを期待していることを申し述べ、締めくくりとさせていただきます。どうもありがとうございました。(長く続く大きな拍手)