2001年2月15日


大阪損保革新懇主催経済問題勉強会講演録   於本町 大阪府商工会館


講演『どうする日本経済』−不況は『人災』、解決できる−


講師 大阪市立大学名誉教授 林 直道氏


講演目次

いま、損保業界で何が起こっているか
損保産業の社会的役割
日本経済の再生に対する政府・財界の誤った政策
 このような乱脈路線を続けていけば、日本はいったいどうなるのか
 21世紀を人間らしい、希望のもてる時代とするために


参考 林直道名誉教授主な著作

『フランス語版資本論の研究』(第2回野呂栄太郎賞受賞)
『現代の日本経済』
『日本経済をどう見るか』
『恐慌・不況の経済学』
『百人一首の秘密』
『百人一首の世界』
など多数



今損保産業で何が起こっているか


 ただいま、ご紹介いただきました林直道です。今日は皆さんにお配りしたレジメにしたがって『どうする日本経済』というテーマでお話をさせていただきたいと思います。

 今日は、日本経済全体の話ですが、野村さんや中井さんから「損保革新懇の勉強会なんだから損保のことも触れてくださいよ」と言われ急拠、損害保険について勉強しました。私の専門領域は経済原論などの分野であります。損害保険は経済学の中でそれほど深く研究されていない学問領域の一つでありまして、それを圧縮して作ったのがこのレジメです。

 さて、さっそくですが、今損保産業で何が起こっているのかということであります。それは皆さん自身がご存知の通り、損保業界というのはかなり平穏無事といいましょうか、あまり暴利、利益を上げない代わりに損もしない非常に堅実な平和な産業として発展してきました。と言うのも、損保産業は日本資本主義のセーフティネット産業ですから、個人及び家計がもしものことがあったら救うという業種であります。ですから、それを踏まえて無難に無難に、穏健に穏健に、と営まれてきた産業ということができます。

ところが、今やそこにとんでもない競争入札だとか、料率ダンピングということが起こってまいりました。この背景にあるのが金融の自由化で、銀行や証券や生保やという異種資本がはいってくる、さらには外国資本、例えばアメリカンホームダイレクトー派手な宣伝をテレビでしていますねーが入ってきたりして、一挙に、それまでの損保業界を知る人にとっては、ビックリするような、とんでもないデタラメなことが行わるようになってきたのです。競争入札で、しかもダンピングして契約を取っていく、こういうことはあるまじきことであります。そんなダンピングをして、いざ事故が起きて、保険金を支払うという時に支払えるのかどうか。せっかく保険料を払った家計、企業に対して十分な保険金を払えないということで大きなダメージを与えるということにでもなればとんでもないことです。そんなことが今どんどん行われている。

保険契約というのは契約した時点では支払いませんから、いくらでも保険料をダウンした契約ができるわけです。しかし実際に保険金を支払う段になった時には大変なことになるというのは、簡単な原理で誰でもわかる。そういうことが行われているわけです。

 戦後50年以上の間、それなりに産業の秩序が守られ、安定的に発展してきた損保業界が、今まで考えもしなかったようなデタラメな乱脈なことが荒れ狂っているという現実であります。そういうようなことが一体許されていいのかどうか。こんなことで損保企業の社会的役割を果たせるのかどうかと思います。

 そこで次に、このような問題を経済学的な角度から検討してみたいと思います。



損保企業の社会的役割


 皆さんのところで一昨年、品川正治さんというたいへん優れた方が感動的な講演をなさった。私はその講演録やブックレット『損保の未来』を読んでみました。元日本火災相談役であり、経済同友会の副代表であり、それほどの財界人中の財界人で、財界の中心の一人であります。それだけの方がこれだけのことをおっしゃっている。私は経済学を研究している連中は皆この品川さんのこれを読まなければならないと思いますね。私も今回、革新懇で講演を求められるまで知らなかった。いい勉強をさせてもらったと思っています。

1 家計や企業には常に不測の事故の可能性がある

 それでは、損保企業の役割についてごくごく簡単にかいつまんでお話します。

 家計とか企業では常に不測の事故というものが起こる可能性があるわけです。船会社であれば船が沈没するとか、あるいは個人の家であれば家が火事に遭うとか、地震に遭うとか、そのような事故が絶えずつきまとっている、事故の可能性があるわけです。誰が火災や事故に当たるかわかりません。

 レジメに「危険には投機的危険と純粋危険がある」と書きましたが、投機的危険というのは株です。ものすごく利益が得られるかもしれない代わりに大損害もするというものです。バブル時代、私の知り合いで2億円も損をした人がいました。投機的危険は言葉を代えていえばバクチです。こういう危険は損保企業は相手にしませんね。

 損保企業が相手するのは純粋の危険であります。何も欲深い生活をしていない、普通にちゃんと生活している、普通に事業しているにもかかわらず、とんでもない事故が起こる。そのために家計や企業が大打撃を受ける、こういうことを社会全体で救おうじゃないか。 大数の法則によって危険性がほぼ正確につかめられるのです。対象を広げて大きく取ればとるほど、また長い時期をとって計算すればするほど、ほぼ妥当な危険率が出てきます。それを加入者全体、契約者全体で分担して、保険料という形で分担する。それを取りまとめるのが保険会社、損保事業でありまして、損保企業は加入者から保険料を受け取って、そしてそれをいざという時のためにプールし、被害にあった人たちに補償、補填する。

 したがって、損保産業は日本資本主義のセーフティネット機能をもつセーフティネット産業で、その企業はセーフティネット企業といえます。他の産業業では一攫千金を夢見てものすごい大バクチを打つようなことをする企業もあるでしょう。しかしながら、損保企業はそのようなことには手を出さないで、日本資本主義社会が生きていくために生ずるかもしれない危険性に対して備えるという役割を果たしているのです。それが損保企業としての社会的役割です。これは社会体制の如何を問わず、仮に資本主義が別の、例えば社会主義というようなものになっても絶対必要です。社会主義でも損保企業の存在は必要なのです。

2 保険料と保険金の関係

 レジメには『保険会社は、多数の契約者から移転された損害の可能性を結合し、大数の法則によって、一定期間に発生する損害を予想し、この損害額を契約者全員に分担してもらう。すなわち保険料として支払ってもらう。これが、損害が発生した際に損害をこうむった契約者に保険金として支払いに当てられる』とあります。

 この「保険金」と「保険料」には次の2つの原則があります。

第一は、「給付(保険金)・反対給付(保険料)均等の法則」であります。保険料は危険の大小によって決まるということであります。危険の大きいものはそれだけ高い保険料になります。危険の可能性が非常に少ないとこからも同じ保険料を取ると「そんなアホな」と辞めちゃいますね。その点は健康保険とは違うのです。健康保険は体の丈夫な人、あるいは高齢者、そういう違いを超えて均一にとるわけです。健康な人や若い人が体の弱い人、あるいは低所得者、そういう人々をいざという時に救うものとしての社会保険です。損保とは異なるのです。

 第二は、「収支相等の原則」といいます。この場合の「収」というのは保険会社が収得する保険料で、「支」というのは支払う保険金のことです。保険料と保険金とは合い等しいという原則であります。ただし、実際この「保険料」というのは支払い保険金に経費が要り、手数料が要りますね。事務所の費用もかかる、従業員を雇用しなければならない、こういう必要な費用を「付加保険料」と言いますが、「純粋保険料」に「付加保険料」をプラスした「営業保険料」ですね、これが実際保険料として収得されるものであります。

3 公正な保険料率

 こういうような二つの原則に基づいて、公正な保険料率が決定されるわけです。

 この保険料率は算定会が決定するのですが、これは1948年に損害保険料率算定会、1964年には自動車料率算定会が出来て、保険会社が全社会員になっています。ここではできるだけ膨大なデーターを集めて、大数の法則に従がって、どれだけの危険、どれだけ事故が起こるのかを算定、数値化してそしてこれを一定の料率として決めるわけです。

 したがって、この算定会の料率は一種のカルテル料率、あらゆる損保会社はこの料率に従う、横並びにこれに従うわけで、これをカルテル料率、カルテル価格といわれています。 カルテルというのは企業間の協定です。一番中心は価格です。生産している会社が五つあれば、五つの会社が協定をして値段を決める。これがカルテルであります。損保企業がこのような算定会料率というものを遵守した、みんな守った、横並びに皆これを皆守ったということはカルテル価格・カルテル料率でありますけど、いま例に挙げた五つの会社の企業の協定とは異なるのです。どう異なるのか。

算定会料率はカルテル価格・カルテル料率ですが、経済学の帝国主義論の中の独占資本主義の理論で出てくるカルテルとは異質で、カテゴリーが違うわけです。

 経済学のカルテルとは、独占大企業が独占利潤を獲得するために実際の商品価値以上の価格を設定し、お互いに協定し、カルテル価格をつくるわけです。どの協定企業もこのカルテル価格で高い独占利潤を得られるという価格をきめるわけです。これは独占禁止法で禁止されているのですが、実際は闇カルテルというかたちで現実に存在するわけです。

 以前は大企業同志が一堂に集まって決めるというものではなく、関係企業が文章を作り、後ろに何々会社取締役社長、社長、社長とボーンと署名捺印したカルテル契約を結んだのですが、それは独占禁止法で禁止されているわけです。だけど独占禁止法でカルテルが禁止されているといってもカルテルがなくなったものではありません。お互い皆業界の友人でありますからね、ゴルフしながらでも「こんどのあれなぁ、そんなもんでいこか」とか言いながらできているわけであります。

だから、あらゆる企業のほとんどの製品が同じような価格になっている。これは裏でみんな相談して、独占利潤が得られるような価格を協定しているからですね。保険料率というのはそういうものとは違いますね。

それは暴利をむさぼらない、しかし現実に損保企業が企業として成り立つだけの手数料、経費などはもらって、かつ損害をきちんと支払う。権威ある機関が業種ごと、地域別、職種ごとに膨大な資料を集積し、分析する。そして料率をあらゆる角度から膨大なデーターを集めて、正確に算出する。こうして収支相等の原則をきっちり守って、これに基づいて厳正な料率が決められる。

ですから、これは通常のカルテル、いわゆる独占利潤を保証するための、独占の行動要求としての価格協定とは違うのです。普通のカルテルとは違うということを理論的にしっかり理解していただきたいのであります。

 それを定義していえば、「保険企業に正常な利潤を保証しつつ、基本的に家計と企業が陥る可能性のある危険を数値化し、リスクを保証し、家計と企業の安全を守るというセーフティネットとしての社会的役割に基づいて算定された料率」だということです。この点に損保企業が日本資本主義のセーフティネットであるということが「公正な保険料」という中に現れているのであります。

4 最近の実態

 ところが、今この「公正な保険料」が乱暴に、ズタズタに踏みにじられているのであります。「私のところは協定料率より3割ダウンしますよ」といって契約を奪い取っていく。このようなことは全然損保企業にはそぐわないですね。このようなことが続くとどのようなことになるか。先ほど言いました第二の原則「収支相等の原則」、つまりどんなに保険料をダウンして集めても将来は危険の時には補填しなければならない。それでは補填資金が足りなくおそれがある。収入と支払い、保険料と保険金ですね、これは均等にしなければならないというのが経済原則であります。

それに従って公正な保険料というものが決められている。それをダンピングしてどうするんですか。実際に保険金を支払いできなくなりますから、保険会社としては支払能力がないということで潰れてしまいます。ですからこれは自殺行為といわざるをえません。それは単に保険会社の自殺行為だけではなくて、損害保険という日本資本主義のセーフティネットとしての重要な経済事業になじまないルール破りということになるのです。

 したがって、皆さんが損保産業の社会的役割を発揮させる運動を進められていますが、この運動は国民の暮らしと日本経済再生に寄与する正義のたたかいであるということを私は確信するのであります。そのことが最初に私が申し上げたかったことです。



日本経済の再生に対する政府、財界の誤った政策


 さて今、損保企業について横並び破り、ルール破りと、とんでもないムチャクチャなことがおこなわれているということを申しましたが、ところがそれと同じようなことが日本経済のなかでもどんどん行われているんです。

『どうなる日本経済』『どうする日本経済』、もうここからは私の専門分野ですから生き生きとお話できます。まず、景気と財政の両面から見ていきたいと思います。

1 自立的景気回復を妨げる

 自立的景気回復とは、政治が金を出してつっかい棒をしなくてもいい、つまり民間の経済活動だけによる景気回復のことです。もっと言えば、設備投資と消費だけによる景気の回復を自立的おこなうということです。

 先程、森首相はスイスのダボスの世界経済フォラムの本会議で演説し、「日本経済はまもなく本格的な再生を終え、再び世界経済の最先端に立ち貢献できる」と言ってですね、景気回復に対する非常に強い自信を世界に訴えたと新聞には出ています。ところがそれは何の根拠もない話で、単にハッタリをかましただけで、海外の新聞は「そんなこと言ってもいいのか」とか「説得力に欠ける」と書いているのですね。森首相はハッタリをかましたのですが、現実はどうか。

確かに去年の春頃から景気はある程度底入れして、IT関連の設備投資を軸に上向きに転じたのであります。ところがそれは短い期間にとどまり、秋になって再び景気下降の気配が濃厚になってきたのであります。その第一は企業倒産ですね。10月には月間1655件というとんでもない、記録的な大倒産が起きた訳です。それから失業率も年間を通じて4・7パーセント、320万人で、2年続きの非常にハイレベルな水準です。

さらに12月には主要原材料、主要素材20品目あるのですが、その内13までが過剰に陥った。「素材不況が始まった」と言われているんですね。もういいことなしで、肝心の頼みのIT投資も振るわない、株も暴落、何故か。何故こんなに森首相のハッタリにもかかわらず景気回復がうまくいかないのか。

お手もとの『社会的需要の循環図』から説明していきましょう。(循環図略)

この循環図は何を示すか。それは要するに、「消費拡大こそ景気回復の原動力である」ことを示しています。「設備投資が拡大」しますと、「生産拡大」「雇用増大」となって、「消費の拡大」につながるんですね。「消費が拡大」しますと「消費財の増産」へつながります。「消費財の増産」から「消費財生産用の生産手段」の増産へ、「消費財生産用の生産手段」から「生産手段生産用の生産手段」の増大へいきます。「生産手段生産用の生産手段」、生産手段とは機械設備と原材料です。

大きく分けると世の中の千差万別の商品・サービスは第一部門「生産手段」と第二部門「消費財」大きく分けられます。「生産手段生産用の生産手段」の典型的なものは鉄鋼業と工作機械ですね。これは直接に消費につながらないのですね。どんな物好きでも、鉄鋼インゴットを買ってきてかじるなんて人はいません。歯が折れてしまいます。だから結局出発点は消費です。消費はGDPの60パーセントという高い割合を占めています。一巡、二巡、三巡の時計回りの動きが景気回復の本来の姿です。

日本について言うならば、去年の春からIT設備投資で、ある程度景気回復のきっかけをつかみました。それが消費拡大につながらなかったのです。何故か。それはリストラや「合理化」によって社会全体で消費をつぶしているからです。だから、せっかくIT設備投資で景気回復のきっかけをつかんでも、一発目はいいんです。しかし第二段、第三段の設備投資の拡大がし、そのため市場が大きくなって、売上が伸びていかないと拡大できません。市場が拡大していくためには消費が太っていて、消費が拡大して左から右へ行って初めて第二段、第三段の設備投資をやっていけるわけです。それが日本では政府・財界が消費拡大を踏み潰している。だからせっかくITで設備投資で景気回復のきっかけをつかんでも長続きしないで、また「設備投資に陰り」となり、結局消費拡大に行き着かなかったのです。

このことは、総務庁家計調査で全世帯の消費支出が8年連続して減っていることに現れています。1992年からズーット右下がり、右下がり、右下がりと消費は下がっているのです。森さんがいくら張り切って、日本への信頼回復を訴えてもアカンわけです。信頼回復を訴えるより先に「消費を回復せよ」と言いたいですね。

それでは、ではなぜ消費が減退を続けるのか。それには二つ理由があります。

 その一つはリストラと賃下げです。財界がリストラと賃下げをやる。いわゆる「逆春闘」をやるからであります。ベースアップゼロ・定期昇給切り下げ・一時金カット・残業しても残業料は出さないサービス残業・終身雇用制度の否定して短期のまるでパートか派遣労働みたいに労働移動を促進する。なんとこの労働移動の促進は、労働市場の柔軟性・柔軟化というようなことを言って、60何歳まで雇用することを約束しない。優秀な技術を持った人でもせいぜい3年くらいやってもらいましょかてなことで、また別の所へ移っていく、これが労働市場の柔軟化の実態です。

 最近、全労連の調査では主要427社の内部留保は去年一年間で4兆5千億円増えて102兆円、日本始まって以来100兆円を越えた。この増加の原動力は主要427社だけでも19万人のリストラをやったのです。同じ仕事をさせながら19万人の人減らしをやったわけであります。そりゃ利益上がりますわな。こういうのが日本の財界のやり方であります。つまり、利益をあげるには二つのやり方があります。一つは売上を伸ばして、みずから利益が増えるというやり方です。高度成長時代の日本はこれでした。売上がガンガン伸びていく、結果利益も伸びていく。これは通常の姿であります。市場が伸び、売上が伸びていくにはどうするかと言いますと、国民の懐がよくなって、消費が伸びて、初めて市場が開けていくわけです。でも今は違います。

 この1年、今年3月の東京証券取引所の上場企業の営業利益は去年に比べて2.8倍、一挙に2.8倍の利益が上がった。ジワーット市場を育て、市場の懐を豊かにして、売上を増やすというようなことは待ってられない。徳川家康みたいに「鳴くまで待とうホトギス」みたいに待ってられない。織田信長みたいに「鳴かずば殺してしまえホトトギス」ですね。「なんでももええ、利益をあげろ」です。だから、こんなことを続けたら1年、2年は利益は上がるでしょう。でも絶対長続きしません。日本もバブルが崩壊した。消費を伸ばさないと市場が伸びないのです。リストラやっても一時的なことですからまたダメになるのです。

 その二つ目は、中小企業の収奪と切り捨てであります。中小企業は中小企業基本法でどんなエゲツナイ目に合わされているでしょうか。

 私は去年の年末、九州の工務店の親方連中が沢山いる組合に行きました。自殺がものすごく増えています。政府は小口の中小企業、地方の生活関連型の住宅とか保育所とか特養ホームとか学校とか、そういう地域住民の生活に関連したような一件あたり小口の公共事業をバッサバッサ切ってくるんですね。もう中小企業には仕事がない、でもゼネコンの方はタップリ仕事取っちゃう、それで泣きつくわけです。そしたら「何、仕事まわしてほしい、回してやらんでもないがな」と言って、「ただしチョット勉強してもらわなあかんな、半値八掛けやな」。ゼネコンは公共工事取るでしょ。それを「半値八掛け」で丸投げで投げてマージン取を取る。これが大手ゼネコンのやり方です。仕事もらっても自殺、もらわなかったら直ぐ自殺。だから10月だけで1655件の大倒産が起こっているわけです。 大企業がリストラでバサーッと労働者の首を切るのと、中小企業が潰れていってジワジワ失業が出てくる。この二つが消費を冷やしている基本的な原因です。

2 浪費的公共事業の拡大

 「景気が悪い」というと政府は公共事業が特効薬のように力を入れていますが、日本の公共事業はG7のうちの日本を除くアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアこれだけ全部あわせた公共事業費よりも多い。それだけものすごい公共事業費をぶち込んでいるのです。宮沢さんていう人は公共事業のために生まれたような人でありまして、「景気対策といえばやっぱり公共事業」そればっかり言ってるわけですね。それでも効果が出なかった。莫大な公共事業費は何処へいったか。族議員と官僚の利権のために、利権維持のために使われているわけです。こんなことやっても景気が良くならないことは分かってる。分かっているけども、これが自分たちの利益につながるからと、確信犯みたいなものです。

市場経済に役立ないと分かっていても公共事業、公共事業と草木はなびく。 例えば、島根県の宍道湖。中の海にどれだけ金を注ぎ込みましたか。境水道から入ってくる日本海の塩水を遮断して、あそこを淡水湖にして埋め立て、お米作るという。やり始めたころは多少の意味もあったかもしれないが、今はお米余っています。政府が農民に「あなたがお米作りたいのは良く分かっているけど、米余っているから頼むからお米作らんといてなー」といって農民の機嫌をとって、お金で償って頼んでるんです。

そんな時に新たに何千億円も注ぎ込んで、埋め立ててお米作りますか皆さん。それに対して「いや、米がダメなら大根を作るという手もある」なんてアホなことばかり言ってね、で結局取りやめになりましたね。結局、何が残ったかというと大和シジミが大量に死んだ。大和シジミというのは非常に栄養があり、日本の河川・湖沼のシジミの総元締めが中の海の大和シジミです。これが大激減です。おまけに島根県民はこのために孫子の代まで払いきれない膨大な借金を負ぶされている訳なんです。

 そういうわけで、21世紀環境委員会が「緊急に廃止・中止すべき100の無駄な工事リスト」というのを発表しました。私はこの中で1件1000億円を超える無駄の典型みたいなものを選んでみたら29事業もありました。むつ小川原なんて、1450億円注ぎ込んで海を埋め立て、工業地帯を作り、日本列島改造型公共事業の典型のようなものです。そしてどれだけの企業が来たかといえば、たった予定の3パーセントですね。97パーセントは来ない。むつ小川原事業推進には莫大なお金の利子ばっかり蓄積されて、どうしょうもない。結局は税金で穴埋めするんじぁないですか。無駄なことばっかりです。

 次に書いてます経済同友会の『公共事業改革の本質』、この経済同友会というのは紛れもなく財界団体であります。そのようなところが「ゼネコン・族議員・官僚の利権維持のためだけに莫大なお金を注ぎ込むのは止めよ」と提言しています。これはすごい提言だななと思いましたが、後で聞けば品川さんが執筆されていたと知りました。偉い人ですね、あの人は。改めて認識した次第です。あいつぐ建設大臣の収賄事件。中村と中尾と二代続き建設大臣が汚職で逮捕されているわけです。不細工な話、腐敗しきっているでしょ。

 次に『OECDの日本審査報告書』。これはごく最近1ヶ月ほど前にOECDが日本に対する審査をやりましてね。日本では公的支出(公共事業中心でありますが)に無駄と腐敗が多いということを指摘しているのです。だいたいOECDと言うのは紳士の集まりですから、あまり内政に関することは言わないのですが、それが日本に対しては我慢がならないようですね。無駄と腐敗があまりにも多いと指摘しているのです。これが公共事業、国だけで71兆円(92年〜99年)ら上ります。さらに1年間に直しますと9兆8千億円、地方交付金、地方の方は地方債発行で全部合わせて48兆円。これだけのものを他へまわしたらどんなに日本経済は良くなるかということです。

3 大銀行・大企業に70兆円もの公的資金(税金)を投入

 次に、大銀行・大企業に70兆円もの公的資金(税金)を投入であります。預金保険機構を通じて銀行に30兆円、最初30兆円って言ってたんですよ。それがしばらくたって、夏休みがすむ頃に60兆円になり、それにまた10兆円足して70兆円になりました。このうち25兆円はすでに銀行に渡しているんですよ。あと45兆円残っています。

 だから、銀行は何に使おうか舌なめずりしているんです。最近の新聞はゼネコンは大手銀行に債権放棄を要請と書いてるでしょ。ゼネコンは銀行から莫大な金借りている、バブルのときに関連会社の保証取り付けしたりなんかして、何百億・何千億って借金しているわけです。全部合わせたら何兆円にもなる債務をゼネコン業界は銀行に負っているわけです。それを大手銀行に「うちの債権放棄してくれんか」って言ってるわけです。普通に考えたら、エーッてなもんですよ。

債権放棄、こんなこと世界にあるでしょうか。われわれが知っている銀行は少しの金でもギャンギャン言うて取り立てるのが銀行ですね。それが何百億・何千億、何兆という金をまともに役員会で検討しましてね、「この度何とか工務店から2000億円の債権放棄の申請がありました。如何いたしましょうか」と検討してね、「やむを得ませんな、放棄しましょう」。

 私はよく中小企業家の所に呼ばれますから最近そそのかすんです。「皆さん、銀行へ債権放棄を団結して申し込んでください。債権放棄を申請してください」。そしたら銀行が必ず、お前アホか、頭どうかしてるんじゃないかってせせら笑うから、「あんたらやってるじゃん」「他に皆やってるじゃん」と具体的なデーター揃えて反論してはどうか。「銀行法には銀行はあらゆる者に平等に対処しなければならないとある。ゼネコンには債権放棄しておいて、中小企業からはキビシク取り立てる。そういうことをしたらアカン、同じ様に扱わないかん」と言うてみてみと言っているのですが。銀行の腐敗・堕落と言いますか、モラルハザードと言いますか、こんなこと世界が聞いたらどう言うでしょうか。「OECDに報告したろかしら」と思います。銀行そのものが世界の銀行連盟から除名されるのではないでしょうか。

公的資金がまだ45兆円残っています。国民の税金です。政府が「まだ45兆円注ぎ込んであげますよ」言っている訳です。銀行は必要になれば預金保険機構に申請できるわけです。預金保険機構は型だけの審査して、「これだけの債権を持っていたら銀行としては資本に支障をきたすから、資本強化のために分かりました」ということで、債権放棄を認めるわけです。損保業界もかなり歪んでいますが、これが銀行の現実です。これも歪んでると思いませんか。

 日本の預金保険機構はアメリカの預金保険公社をモデルにして作ったものであります。これは銀行が0.0845パーセントの割合で、預金残高に比例して、保険料を支払うんです。それを預金保険機構にプールします。そして銀行がつぶれたときに、全員の預金者に補償する資金にするわけです。これが預金保険機構の役割です。日本はアメリカと同様0.0845パーセントと保険率まで同じです。ところが違う点があります。

 アメリカは1991年に銀行がひじょうに信用不安に陥った。その時アメリカ政府は銀行の自己責任を追及した。銀行が潰れていって預金保険機構のプールで足りないということになっても、すぐ政府が埋めるということはしない、銀行の自己責任でやれよと指導した。その方法に二つありました。一つは預金保険料を3倍に引き上げ、0.254パセントに上げたんです。ただしこれは時限的で、金融不安が去るまでということでした。幸いアメリカでは信用不安が去りましたので、元の0.0845パーセントに戻りました。

 銀行自身の力でやれるところまでやれ、それでも足りなくて銀行が次々潰れていって補償しきれなくなったら、連邦準備銀行、日本でいう日銀ですね、ここがお金を保険預金公社に貸すからそれで賄いなさい。あとで銀行業が立ち直り、景気が立ち直り、銀行業で利益が出たら次々返しなさいという仕組みです。

 だから、まず銀行が限度まで3倍まで保険料を上げ、プールを増やす。それで足りなければ連邦銀行が貸す。これでアメリカは銀行の自己責任という原理を守ったのです。これによって90年代のアメリカは対外的にはグローバリゼーションで相当えげつないことをやったのですが、国内政治でいえばデタラメなモラルハザードはやってません。銀行業界も襟を正し、無駄を廃し、きちっとやったのです。だからこの銀行の自己責任という原則は非常に効果を上げた。私はアメリカ経済がピリット引き締まって、今日の超ロングラン好況を続ける一つの要素になったと見ています。

 一方、小渕内閣は北海道拓殖銀行が潰れた時に泡を吹きました。預金保険機構のお金がとても足りない。それでは、アメリカ流に保険料を3倍にするか、あるいは日銀が金を貸すか、という方法をとったか。違うのです。税金で補填するとして60兆円、70兆円を注ぎ込むという国民の負担で全部補填しますと決めたのです。アメリカと全然違う。こうして救済したのです。

何故か。銀行とゼネコンは自由民主党にとって長らく1位、2位の政治献金の土壌です。「恩義のあるところに対しては恩義をもって報いる」というこれ東洋的「人の道」ではありませんかと、恩義をもって報いたのですね。こういう「人の道」は「人の道」と違いますね。では、このような乱脈な路線を続けていけば日本はいったいどうなるかということを考えてみたいと思います。



このような乱脈な路線を続けていけば、日本はいったいどうなるか

1 勤労者国民の暮らしは低下し、生活不安が世をおおう

 まず、第一に勤労者国民の暮らしは低下し、生活不安が世をおおうということです。『朝日新聞』の世論調査では「収入が大幅に減る不安を感じている」が82パーセントです。

日本は一人あたり国民所得は世界第4位を誇る、世界第2位の経済大国です。にもかかわらず将来に対する不安は一番高い。82パーセントが不安だと言っています。「何も不安を感じていない」というのは15パーセント。これは親父の遺産があるか、本人が鈍感で気が付いていない層が15パーセントいるわけです。一人あたり国民所得世界第4位、ルクセンブルグ、スイス、ノールウエイ、第4位日本です。にもかかわらず82パーセントが不安だと言っている。生活・経済問題を原因とする自殺者が99年度だけ90パーセント増の6758人に上っています。このような姿は日本だけです。これも政治が狂っているからですね。21世紀の日本、勤労者の暮らしはものすごく不安になっていくということを示しています。


2 財政破綻が進む国債の累計

 第2の結末は財政破綻であります。下の表を見てください。
         国債発行残高    一世帯4人あたり 

1997年度末     254兆     808万円  

2000年度末     364兆    1153万円  

2013年度末     732兆    2307万円  


 1997年、橋本首相は発行残高254兆円と聞いて肝つぶした。「これは大変なことであります」と言った。あの頃はまだまともな神経の持ち主だったんですね。一世帯あたり808万円ですぞ。皆さんも銀行でローンしてると思いますが、808万円借りれば月の返済はどの位ですか。35年ローンで月4万円位返さねばならないでしょう。大変な金ですよ。皆さんも若いからローンしてると思いますが、私もローンしてました。長い間苦労しましたな。妻と物干しの涼み台でね、ビール飲みながら「なぁ、かあちゃん、来月からローン請求なしですよ」「お父さんのお陰ですわ」とか言うてね。ところが、政府は「お宅のローン済んだか知りませんが、うちのローンまだですぞ」と言って橋本さん消費税上げたわけです。そしたら逆効果で、消費を冷やしてしまった。

小渕・森内閣は国債が「いくらに溜まろうと構わない。出して、出して、出しまくれ」とたった3年間の2000年末、今年の3月末で364兆円、3年間で110兆円増やしたんです。110兆円、あんまり数字も大きなりすぎたらピンと来ませんね。110万円だったら殴り合いになりますよ。それが2013年度末が732兆円とあるでしょ。   ついこの間まで634兆円と書いた記事が多く、私もこの前まで634兆円と言っていましたが、最新の政府試算で732兆円になっているのです。一週間で100兆円も増える。こんな調子です。2001年度は公称98兆円、実質138兆円の国債が発行される予定です。あと12年経ったら、一軒あたり負担が2307万円。どうするねん。無茶苦茶ですわ。

別の角度から見てみましょう。これは「地方と国をあわせた公的債務の対GDP比はイタリアを抜いて先進国第一位」ということで、ついに念願の金メダル到達なのです。 

「いったいこの国債の大洪水をどう解決するのか」と国会で共産党の不破哲三議員が質問した。質問に対して小渕首相は「要するに二兎を追うものは一兎も得ずでありますから、政府としてもなるべく早く景気を回復して、そして次いで財政危機も大事に至らないうちになんとかしたいと思っています」とアイマイに答えたのであります。本当に膨大な国債をどうするのか。結局、次の二つの道を歩むことになるでしょう。


(1)消費税の福祉目的税化と飛躍的大増税

 第一は消費税を福祉目的税とするということです。つまり消費税は福祉以外には使わないということです。大体今は消費税は5パーセントで10兆円ですね。福祉関係は16兆円かかっていますから福祉目的税にすれば、たちまち60パーセント消費税を上げなければならない。だから、現状でも8パーセントに上げないとやっていけない。ところが、まだまだ高齢化進んでいきますから将来は益々上がっていきますでしょう。一番えげつない試算で41パーセントというのがあります。別の計算では25パーセント。25パーセントはもう公然と語られていますね。消費税25パーセント。国民の生活は大変なことになるわけです。

 福祉目的税と言えば何かいいように聞こえますが、要するに今福祉関係の費用は消費税から多く回っていますが、相続税とか、勤労所得税とか、アルコール税とか、そういうところからも福祉に回っているのです。福祉目的税になると一切回さないということになるわけで、相続税、勤労所得税、アルコール税とかは一切福祉には使わないで、公共事業とか、銀行救済など他のところに使うことになる。

「福祉目的税なら仕方ないんじゃないですか」「福祉目的なら少々高くても我慢しなければいけないんじゃないですか」「できれば上がらないに越したことはないが、今の政府だって上げたくて上げるのではないでしょう。少子高齢化社会ですからやむをえません」と思っている人がいると思います。これは間違っています。今日は時間がありませんが、私はいま『高齢化社会と経済学』という本を執筆中です。政府の言っていることは全然デタラメで、社会保障負担を増やしたり、あるいは給付を切り下げたりしなくても十分やっていけるということを政府資料に基づいて書いているところです。相当な力作の大論文ですから刊行されましたら本屋で立ち読みでもしてください。

(2)国債の日銀引受

 第二番目の方法は国債の日銀引受であります。

 今、国債を発行したら市中消化と言ってどこかに売らなければなりません。銀行が市中消化を引受けていますが、銀行は値下がりするような国債をこんなに大量に持たされるのはかなわんと言い出し、最後は日銀が引受けることになるでしょう。これは法律で禁止されているのですが、大体その方向に傾いていくでしょう。そうなればどうなるのか。   

 政府が「今年度は50兆円の国債発行です」と言えば、日銀は「50兆円ですか。チョット多いですね、今度は」とか言いながら、紙の問屋から50兆円分の紙とインキを仕入れて、それでウワーンと輪転機をかけるのです。そうすると生産は増えないのに通貨だけがドンドン増える。こういう状態からハイパーインフレ、超インフレになるわけです。

 この会場には「私はなんとかしっかり持っています」という顔をした人が若干いらっしゃるようですが、そういう人はハイパーインフレで一番困るんですよ。一番困るのは中産階級、勤労者の上のほうの階層ですね。チマチマして生活して貯金貯めてる人が、貯めた貯金の貨幣価値がガーンと下がるんです。私も被害者です。

戦後昭和21年、モロトリアムに合いました。貯金を全部集中させまして、第一封鎖、第二封鎖に分けて何年間かお金を出させないのです。実は私のオヤジは利率のいい「ニコニコ貯金」で5万円残してくれたんです。ところが、「ニコニコ貯金」は余裕資金と見られて第二封鎖。第一封鎖は冠婚葬祭の時に隣組長と町会長と警察署長とにハンコを貰えば、銀行はお金を出してくれたんです。ところが第二封鎖は全然アカンのです。

その間にインフレがドンドン進んで貨幣価値がドンドン値下がり、5万円は5万円ですが、貨幣価値は十分の一ぐらいに下がってしまった。オヤジは「直道よ、これだけのお金を残してあるから学校出るまで女中さんおいてゆっくり暮らせよ」といってくれたのですが、本当に残念でした。貯金持っていた人は痛い目に合ったのです。貯金持ってない人は痛い目に合えへん。小金持っている者がこういう時に一番やられる。狙われるのです。ありそうな顔している人、こんな人がやられてまっせ。

ハイパーインフレが起これば、艱難辛苦して貯めたお金の値打ちが下がる、それならどうすればいいのか。「大手のガッチリした企業の株を買うことや」と言う人もいます。だが、株も下がる。さらにどうするか。「結局、金でも買ときますか」と言うて、盗まれても知らんで。とにかくハイパーインフレはどうしようもない。とにかく貨幣の形、現金、通貨で持っていたらあきまへんで。

 したがって、政府はインフレを収束しなければならない。収束しなければならない原因が三つあるからです。

@大衆が革命化する。米騒動みたいにですね。大正時代、魚津の漁師の奥さん連中が米騒動起こしたでしょう。あれは米の値段がドンドン上がる物価騰貴に対して立ち上がったのです。そんなのがあちこちで起こったんです。国はこれが恐い。

A企業にとっても、契約した時の価格と納品する時の価格がもの違っていたら経営ができなくなる。経営者も困る事態がくるからです。

Bこんなことで国債をドンドンドンドン増発すると国債の利息払いが新規発行国債の金額を上回ってしまう。国債発行しても全部過去の利子払い回さねばならない。

 だから、インフレを止めなければならない。それを強力的収束といいます。強力的収束の時に何が起こるか。安定恐慌が起きるのです。経済学で安定恐慌というのは、政府が強力なインフレ・ストップ策をとる時に起きます。

 日本では昭和24年、ドッジ恐慌というのがあります。マッカーサー元帥はデトロイト銀行頭取のドッジ氏を日本に特使として呼んで、「日本経済診断してくれ。どうだ、もうそろそろインフレ止めるかどうか」と諮問したのです。ドッジ氏が調べて、だいたいこれからのアメリカの極東政策の協力者となりうるような巨大独占企業はこのインフレの中で大部力をつけた、だいたいいける見通しが出来てきた。「じゃあ止めるか」と強力にドッジ・ラインを引き、インフレを強力に収束する策に出たのです。この第一は事業税の大大過酷な取り立てです。もう一つは一切の補助金のストップした。そういう非常手段のドッジ・ラインでインフレを止めた。だから、あの時代なんと2万1千の企業倒産が起こり、51万人の失業者が出たのです。経済復興の昭和24年の時点で、大量企業倒産と大量失業者が発生したわけです。ほっておけばもっと広がる。それも覚悟でインフレを止めたわけですね。

ところが、その翌年に朝鮮戦争が起こりました。それでぐっと景気が上向いた。神風みたいなものです。朝鮮戦争が起こっていなければ、日本はものすごい安定恐慌、ドッジ恐慌が広がって、反米運動はワーッと盛り上がったと思います。あの時、中小企業の社長は沢山首つったわけですが、その時池田大蔵大臣は「中小企業の一人や二人首吊っても仕方ありません」と名言を残しましたね。

 この膨大な国債がドンドンドンドン累積していくと、ハイパーインフレが起きる。何年かしたら止めなければならない。その時皆さんは自分の預金の目減りを泣くだけではなくて、大量破産が起きます。これが今の乱脈な日本経済の行き着く先ということになります。(3)潜在競争力の劇的低下

 3番目に潜在競争力が劇的に低下することです。潜在競争力とは10年後の経済競争力を規定する要因です。1990年には日本はOECD31ヶ国中、潜在競争力は第3位でしが、99年にはなんと16位にまで急降下しているのであります。なぜか。その中心は教育の衰退であす。なかんずく、政府の教育支出の割合がものすごく少ない。シガポール、タイ、韓国、台湾などアジア諸国よりまだ少ない。それは銀行の救済に70兆円とか、ゼネコンへの公共事業とか、そんなとこにばっかりばら撒いている一方、教育予算はキュッキュウキュッキュ締めている。2001年度の国家予算は1.2パーセント歳出増ですが、教育予算の増は0.6パーセントです。それほど教育予算は抑えられているのです。

 だからこのとおり行くなら、日本は16位に落ちるということになるわけです。どうするんですか。10年ってすぐ先ですよ。アッという間ですよ。その時になって教育にもっともっと金を割けと言ってももう遅い。今からもっと出すべきところに金出せと言いたい。



21世紀を人間らしい、希望のもてる時代とするために


 それでは最後に、「21世紀を人間らしい、希望のもてる時代とするために」何をすべきかということで話を締めくくりたいと思います。

 まず、指摘しておきたいことは、政府財界の21世紀戦略は財界人の間にも強い反対論があるということです。日本の財界の中にも、財界人の中にも、今日日本で行われているデタラメな乱脈なルールはずれのやり方に対して警鐘を乱打し、あるいは公然と反対論をぶつ人もいるということです。

 一番古くはソニーの盛田さんです。『文芸春秋』に日本資本主義を資本家・大企業経営者の立場から憂いて書きました。「ホンダ」とか「ソニー」はバブルの時に手を出さなかったですね。「うちは株なんかの値上がりで儲けるなんてそんな邪道に手は出しません。本業で勝負します」と。いい品物、世界に売れる品物、世界の人々に感謝される品物を出来るだけ安く、しかも十分のアフターケアー、アフターサービスも考えて、そういう物をどんどん作って儲けました。これは立派な資本家魂だと思います。私はこれを資本家らしい資本家、資本主義らしい資本主義、真っ当な資本主義だ思います。

最近ではトヨタの会長で日経連の会長の奥田碩氏。この人も『文芸春秋』の1999年10月号で「経営者よ首切りするなら腹を切れ」と痛快な文章を書きましたね。「リストラで従業員の首を切って、一時的に利益上がるだろう。しかしそんなことで利益を上げるという考えの経営者は経営者の資格はない。そんな経営者は排除だ」と言われてます。痛烈な文章です。「トヨタ」という会社は「合理化」の本家みたいに考えられていましたけれど、この事一点だけで言いますと正論ですね。

 なぜかと言うと、奥田さんの考えの背景にあるのは日本の製造業の労働者は自分の生活を企業の生活と結びつけて、いい品物を安く作るということで皆一生懸命働いた。そのため日本製品は故障が少なく、デザインもよく、使い勝手もよく、値段も安いということで世界にどんどん出て行った。これが日本の財産だ。原料資源を持たない日本の財産はこれだ。日本の労働者がいい物を作りたいという労働者本来の渾然とした欲求、これと企業が一体となっていいものを作ってきた。リストラや首切りでは日本の伝統は目茶目茶になる。「こういう良さがなくなったら、日本は二流国、三流国に転落しますよ」というすごい危惧の念から製造業のトップとしてこのような文章を書いたのだと思います。

 さらに、金融界はだいたい金に左右されるから、パッとせん人ばかりだろうと思っていたのですが、品川正治さんの『21世紀の経済社会と損害保険産業の新しい進路』を読んで、私は感動しました。こういう立派な主張をする人が金融界にもおられるということを知りました。

 ここで、われわれは目を世界に広く向けましょう。世界の流れ、世界の動きというものに対してもっと皆さんも目を向けていただきたいと思います。

 フランスでは週35時間労働を法制化しました。フランスは今雇用が伸びています。雇用が伸びると消費が伸び、好況局面に入っています。EU経済を引っ張っているのはフランスです。フランスで資本家や政府が定年延長なんて言うと反対の大デモが起こりましたね。日本では定年延長してくれというのが要求でしょう。フランスでは定年延長なんて言うたら、労働者が猛反対する。これは年金がいいからです。年金がいいから、長いこと一生懸働いた褒美としてもう後は働かないでもそこそこの生活できる。年金生活に入るということは非常にいいのです。ですから、定年を延長されてたまるかという反対運動が高まるのです。『ところ変われば品変わる』という言葉を思い出しますね。

 アメリカではUPS社、従業員30万人の宅配業ですが、これが15万人をパートで雇ったわけですね。そのことが大きな社会問題になって、テレビ局がアンケートを取りました。「UPS社けしからん」「UPSは不公正だ」「半数の労働者をまともな賃金も払わずにパートで何年も働かせている」「そんなこと許せない」などの回答が集まりました。轟々たる非難を見て、UPSの経営者が「これはいかん」と前面的に降伏して、全部本雇いにした。これアメリカですよ。資本主義の本家アメリカでこういうことが行われている。日本とえらい違う。

 ついでに申しますが、日本はこういうやらずぶったくりのやり方を「新自由主義」「新保守主義」と言っています。民主法律家協会の人に聞いたんですが、アメリカの労働組合幹部と日本の労働者と懇談会が行われたそうです。日本の労働者がアメリカ側に日本の事情を報告して、アメリカの掲げる「新自由主義」のやり方でやらずぶったくりの労働者にしわ寄せされていると報告したのです。そうすると、アメリカの労働組合幹部は「チョット待ってくれ。何か勘違いしているんじゃないか。アメリカは“新自由主義”という理論はいいと思ってるけど、残業しても残業代払わんとかそんなデタラメなことはアメリカ社会では許されない」と言ったのです。

だから、日本の経営者、一部の学者、労働組合幹部たちが「新自由主義」「新自由主義」言ってるけど、それは日本発の、日本仕立ての「新自由主義」であって「新自由主義」の名に値するものではありません。これは大事なことですね。

 それからもう一つはEUです。EU首脳会議の「基本権憲章」です。その中にはストライキ権など労働者として生活する上で必要な権利、老人が尊厳ある生活を営む権利、個人情報秘匿が守られる権利など50項目ほど並べ、これを守るということをEUは高々に宣言し、それを加盟国に義務付けるという訳です。ちょうど森首相はスイスに行ったのですから、「うちもEUに入れてもらえませんか」と言っててみたらどうですか。そうしたら向こうは「日本の資料送ってください」と言いますね。そしたら「不合格」の通知きますよ。「お宅全然ダメ。50項目のほとんど全部ペケ。世界の7不思議ですね」と「不合格」間違いなしです。

日本だって最高裁の解雇4要件作ってますよ。第一は解雇、首切りをしなければその企業が潰れるという危急存亡の状況にある場合これは止む終えない。第二は首切り以外には、従業員何人か整理する以外にはあらゆる手を尽くしたということが証明された場合などの4要件を定めています。しかし、いま大方のリストラはこれに合いません。

 このように内外の声をバックに、日本資本主義を民主的なルールある資本主義に変えることは決して不可能ではありません。これは現にアメリカやヨーロッパでやってることであります。日本だけが島国で、情報が入ってこない、日本は情報化の国と言われていますが、しょうもない情報がものすごく多いのですね。

 今日、私が言いました数字の中で幾つか皆さん初めてという数字があると思いますが、これは暗記してください。そしてこれは仲間の人に知らせてあげてください。これを口コミでいいからズート宣伝してください。それぞれの産業での粘り強い闘い、「合理化」反対、首切り反対の声を上げましょう。損保企業でやっていることははルールに合わない。損保の社会的役割にそぐわないということをもっともっと知らせていく、説得してください。

これを基礎に、国民の中に世界の動き・世界のルールを広く深く浸透させ、一大国民運動にもりあげてゆくならば、私は決して夢ではないと思います。そういう意味でわれわれは希望をもって前向きにがんばろうではありませんか。

以上を訴えて今日の私の講演を終わりたいと思います。長時間、ご静聴ありがとうございました。
                            (大きな拍手)