大阪損保革新懇の活動報告10

 −全国革新懇・全国交流集会での発言−

結成4年目、『職場に革新懇の風を吹かせよう』を合い言葉に

                         (2002年2月16日)

                         大阪損保革新懇 野村英隆

 みなさん、こんにちは。ご紹介いただきました大阪損保革新懇の野村と申します。

 全国革新懇・全国交流会という晴れの舞台で私たちの活動報告ができることを大変光栄に思います。

私たちは結成4年目に入りましたが、この間の経験と教訓、そして現在取組を進めている課題を報告し、職場革新懇運動の一翼を担って奮闘する決意を報告したいと思います。

 まず、はじめに少し自己紹介をさせていただきたいと思います。

私は大阪生れ・大阪育ちであります。

学校を出てから日本火災に勤める損保労働者になりました。

若い頃から全損保大阪地協の運動に参加しましたが、32歳から全損保日本火災支部の専従として上京、支部専従8年の後、全損保本部専従を6年間経験しました。

46歳で復職、55歳の第一次定年で24年ぶりに大阪に戻ってきました。

その後5年間は子会社に勤め、4年前、60歳で定年になりました。子会社時代を含め最後の10年以上は非組・管理職でした。

 定年前、自由の身になったら損保革新懇の仲間に入れて貰おうと思って、昔の仲間に連絡しましたところ、驚いたことに「革新懇なんかまだあれヘンで」という返答でした。

私は全損保大阪地協は大阪の金融労働運動だけでなく、ホワイトカラーの労働運動や御堂筋総行動などでそれなりの役割を発揮してきた労働組合と思っていましたし、もうとっくに革新懇ができていたと思っていたのが間違いの素でした。

「お前ら何をしとったんだ」とも言いましたが、結果的に「ミイラ取りがミイラ」になってしまった訳であります。

 こんな訳で、定年直後の1998年4月から最初は4人の準備会から相談を始めました。

革新懇の目標をどうするか、規約・財政はどうするか、結成までどのような段取りで進めていくかなどを相談しました。

骨子がまとまり、6月には15名の「結成準備世話人会」に広げることができました。

次にこのメンバーが中心になって数十名の「呼びかけ人団」の組織化をめざしました。

7月末には第1回「呼びかけ人会議」を開催するに至り、「結成準備アピール」を職場に広げることを決めました。

この顔ぶれにはかつて様々な時期に労働組合だけではなく、文化・スポーツ分野で活躍した知名度の高い皆さんが揃い、年代も30歳代から80歳代に及びました。

9月初めの第2回「呼びかけ人会議」では会員が150名を越えたことを確認し、10月には結成総会の開催を決めました。 

 結成総会には180名の仲間が集い、大阪革新懇代表世話人の一である釣サンデー小西会長に記念講演をいただきました。

こうして私たちは革新懇運動の隊列に加わることになりました。

 1999年10月、第2回総会には経済同友会元副代表・日本火災相談役の品川氏を迎え、『21世紀の経済社会と損害保険産業の新しい進路』の記念講演は成功を収めました。

職制・非組合員・代理店・OBを含め360名を越える人が参加し、お招きした業界紙やマスコミが取り上げたことも重なり、大きな話題となりました。

私たちはこの講演録と講演内容を職場の現実からフォローしたブックレット『損保の未来』を刊行し、翌3月には『刊行記念シンポシウム』も盛会裡に開催できました。

その後、会員の奮闘によってこのブックレットを7500部全国に普及することができました。

私たちはこの取組を通じ、職場には損保産業のありかたに対して強い期待と要求があることや革新懇運動としても初めて貴重な経験を積むことができました。

 2000年10月、第3回総会には宗藤泰而弁護士を迎えました。

『21世紀、人間らしくどう生きる』記念講演には186名の仲間が参加しました。

ちょうど日本火災と興亜火災の合併に伴って全損保日本火災支部の全損保脱退問題の最中でしたが、宗藤弁護士は自らの経験とともに今回の分裂脱退の本質とそれがもたらす結果について語っていただきました。

その後はその通りの「ご用化」「いいなり」路線に転落し、日本火災で働いてまた仲間の労働条件は大きく切り下げられています。

昨年9月、全損保委員長を退任した日本火災支部選出の瀧前全委員長に前例のない配転攻撃をかけてきています。

 昨年4月には第一火災の破綻や再編・統合・合併が具体的に進行するなかで『いま、損保の職場はどうなっているか』シンポジウムを開催し、7つの職場の仲間が闘いの報告と決意を発表しました。

この『シンポジウム発言集』を800部職場の仲間に訴えることができました。

 昨年10月の第4回総会では171名が参加しました。

保険ジャーナリストとして活躍中の中崎氏を迎えました。

氏は『顧客に支持される保険文化の構築へ』と題し、損保の現状から「損保産業は大型再編で業容を競うのではなく、顧客に信頼されることを競うべきだとの」と提言され、大阪損保革新懇が産業内の「NGO・NPO的な存在」として役割発揮を期待するという励ましの言葉をいただきました。 

 以上のように私たちは総会ごとの4回の記念講演、2回のシンポジウムをはじめ『川田悦子さん講演会』『林直道大阪市大名誉教授の経済講演会』『大阪から公害をなくす会長野さんの環境問題勉強会』『府立天王寺高校森本先生をお招きした教育問題勉強会』などの講演会を取り組みました。

2ヶ月前、昨年12月には講師に民主青年同盟委員長坂井のぞみさんを招いた『宮本百合子生き方に学ぶ』講演会には94名の婦人が集まり、職場の悩みを語り合い、頑張って働き続けようと誓いあいました。

 2年前の『映画“ブラス”上映会』に続き、実は昨日・本日は『映画“郡上一揆”上映会』を取り組んでいます。

さらに1999年と昨年、『8月6日広島平和祈念ツアー』には毎回多くの小・中学生も参加し、彼らは感想文の中で平和への決意を語ってくれました。

さて、みなさんご存じの通り、金融ビックバンが進む中、損保産業とそこで働く仲間の状況も激動・激震の最中にあります。

新たに大成火災の破綻、健全だった日産火災の無配化が発生しましたが、この4月東京海上の『ミレア・グループ』、7月には安田火災を中心とする『損保ジャパン』が誕生します。

 この情勢の急展開のもとで損保労働戦線も様々な変化が起きています。

私たちは革新懇と労働組合の関係について、次のように整理し、毎回の総会アピールで確認しています。

それは、『私たちは損害保険のすべての労働組合と組合員が損害保険で働くすべての人たちの雇用と労働条件を守り、損害保険の民主的な発展に努力・奮闘されるよう協力・共同していきます』ということでありますが、この原則はますます重要になってきています。

私たちは昨年の総会アピールで「いよいよ革新懇の出番だ、職場に革新懇の風を吹かせよう」ということを確認しあいました。

なぜなら、いま損保産業で起きている事態は産業内・企業内・産別組合・個別組合のなかで解決できるものは少なくなってきているからです。

損保産業は戦争で発展する産業ではなく、世界の平和と日本経済の健全な発展と国民生活の向上とともに地道に成長していく産業です。

この意味でも損保における革新懇運動の意義と重要性があると思います。

 私たちは昨年の総会後、仲間を増やす運動を精力的に取り組んできました。

年明けには300名を越える仲間に増えたことを確認しましたが、情勢はもっと早く、もっと大きく、もっと激しく進んでいます。

したがって、私たちはいま、全国の仲間、大阪のまだ手が届き切れていない仲間、今後の再編によって机をならべることになるであろう仲間たちに私たちの存在を知って貰い、革新懇活動への参加を呼びかけていくため自らのホームページを開設する準備を進めています。

今後の投資費用・回転費用をどうするか、管理体制・データーの更新をどうするか、そして最も大切なホームベージを開いてもらう・アクセクしてもらう運動をどう展開していくかなどの幾多の課題がありますが、IT時代とIT社会における革新懇運動のありかたを追及したいと思っています。

これらを乗り越え、4月にはホームベージ開設記念シンポジウム『いま、損保の職場はどうなっているか、パート・U』の開催の検討も始めています。

ぜひ成功させたいと思っています。

 最後になりましたが、私たちは4年前この革新懇を立ち上げ、本当に良かった、ギリギリ間に合ったと思っています。

当時は現在進んでいる大型再編の具体化の直前でした。今日のような情勢が生まれることを知っていたら、きっと気後れしたり、ビビッタリしていたのではないか、革新懇結成の気運になっていたかどうかと思います。

あるいは今頃は単なる一人のOBとして情勢の流れをこまねき、ただ傍観しているだけにとどまったかも知れません。

この様な思いも重ね合わせながら、今までの活動を振り返り、これからも職場革新懇の一つとして力一杯、奮闘する決意を申し上げ、私の発言を終わります。ありがとうございました。