ブックレット『どうするどうなる 損保の未来』第二部所収

『こうして“品川講演”は実現した』 

野村英隆


 なんとなくページをくっていた99年1月31日付の『赤旗』日曜版で、目が点になった。なんと「うちの元社長・元会長」の品川サンの顔が出ているではないか。

 記事を読んで、さらに驚いた。品川サンは歴代自民政府が行ってきた公共事業と99年度予算の公共事業重視のあり方を批判し、「これからの日本経済の再建のためには国民・家計経済重視に転換することが重要である」と主張されているのだ。

 チョット待ってくれ。去年10月、オレたちは『大阪損保革新懇』を旗揚げしたばかりだが、その呼びかけの第一項は「日本の政治と経済の流れを国民本位に変える」だ。

 なんと「うちの元社長・元会長」も同じ意見を述べているのである。

 オレたちの主張はスローガン的だが、品川サンの論旨は明快かつ具体的である。

 その直後、『インシュアランス』紙上で品川サンさんと同社森末元社長との対談を読んだ。

この対談でも、品川サンさんは損保産業の原点とか誇りを強調されている。

オレたちの「よびかけアピール」「結成アピール」とまた同じ主張なのである。

どうしても、一度お目にかかって話を聞きたいなと思った。

だが、いまあちらはパリパリの企業・財界の第一線の現役だ。

一方、いまこちらはブラブラの完全失業者のヒマな身である。

現役の時でもなかなかアポをとれなかったのに、新参革新懇代表世話人だと名乗って会ってもらえるだろうか。恐る恐る、「3月に私用で上京する際、お目にかかりたい」旨、秘書を通じてお願いしたところ、即座にOKがきたからまたまた恐れ入ってしまった。

面談の席では、新生わが「大阪損保革新懇」の現状と抱負を大いに宣伝した。気持ちが大きくなってしまい、「ぜひ、今年10月の第2回総会に“21世紀、日本のゆくえ”という内容で記念講演を」とお願いした。

品川サンは「考えておこう」という返事だった。通常、官僚言葉では「考えておこう」は「ダメ」ということのようだが、この言葉に期待をつないだ。

7月、再び上京した。「ダメモト」の気持ちもあるが、やはり期待も強い。

再会の開口一番、なんと品川サンは「講演を受けるよ。だが、注文の演題は抽象的だから“激動の経済情勢と損保の新しい進路”でどうかな。なにが起きるか分からない時期だから、ギリギリの情勢を見た演題と内容に変えるかもしれないよ」。

やった!やった!である。

だが、気になることもあった。闘病中の息子さんの具合が相当悪いらしい。厳しい事態と重なるかもしれないが、その場合はやむを得まい。

それからの3ヶ月が大変だった。仲間の必死のあらゆる取組・運動が実り、9月末には聴衆300名は越えるところが見えてきた。第2回総会アピール原案も確認した。

当日の数日前、再々度上京した。品川サンは「7月に君と会ってから2週間後に息子は亡くなった。実は先週“四十九日”を終えて、昨日引越しも終わったばかりだ。こんな事情で準備不足だが、大手三銀行の統合が発表されたし、損保も何が起きるか分からない重要な時期だ。君たちとの約束を破るわけにはいかない」。

返す言葉がなかった。本当に有り難いと思った。

 こうして当日、第2回総会は360名を越える参加者で大成功に終わった。最後まで全員が全身を耳にして講演に聞入った。業界紙3社も取材してくれ、のちに記事となった。これがその後、業界に話題を広げる役目を果たしてくれた。

 二次会には150名が参加し、品川サンも参加して下さった。元大阪代協役員のS代理店M社長も参加された。M氏は「品川さん、私たち代理店の気持ちを代弁してくれた!」と力をこめて握手。品川サンは全コーナーを回われ、「乾杯」の声がひびいた。

 その後、余り大きな声では言えないが、キタでご馳走になり、カンパも頂戴した。翌日のしんぶん『赤旗』大阪ページは総会の模様と講演要旨を掲載した。帰京直前の品川サンに新聞コピーを渡すことができた。「良くまとめているね」との感想だった。

 その後、反響も多く、世話人会では「ブックレットを発行しよう」ということになった。

 講演録を正確にするため小見出しを付け、校正をお願いした。ほどなく手入れ原稿が返送されてきたが、一字一句読まれた様子がはっきりわかる。とりわけ、「21世紀、損害保険業の新しい進路」のくだりは真っ赤に手が入っている。 

 こうしてこのブックレットの第一部は出来あがったという次第である。

 だが、話はこれで終わらない。

 新年1月3日のしんぶん『赤旗』をみてまた驚いた。さらに新年早々『インシュアランス』新年号が送られて来て、驚いた。

 前紙には講演内容の全体的な部分が、後紙には損保のあり方の部分がより整理され、より主張が明確にされているのである。改めて品川サンの現代社会とこの産業にかける強い想いを痛感させられた。言っちぁ失礼だが、アノお年でこの情熱、講演の最後に頂戴したわれわれへのメッセージをもう一度噛みしめたいと思う。

 その後も「品川講演」が反響と波紋を広げているようである。実は、複数の知人が「品川さんを講師に招きたいので、口をきいてくれないか」と言ってきているのである。

 頭が痛い。どうしょう。もう、これ以上、よう言いに行かんがな。

(2000年1月31日記)