大阪損保革新懇活動紹介 14

                                                  大阪損保革新懇 第5回総会開会挨拶


 みなさん、今晩は。代表世話人の野村です。恒例により世話人会を代表して開会の挨拶を申し上げたと思います。みなさん、本日はご多忙の中、大阪損保革新懇第5回総会にご出席下さいましてありがとうございました。今回も大変多くの仲間の参加で開会できたことをお互いに喜びあいたいと思います。

 みなさん、私たちは4年前、この会場で結成総会を迎えました。あれから4年間、私たちは各種の講演会・シンポジウム・自主映画上映・損保フェスティバル・ブックレットの普及などを成功させ、また全国革新懇や大阪革新懇の諸会議に出席し、他の革新懇の活動を学んできました。

 また、この4年間は日本の政治・経済情勢も混乱・混迷を深め、国民・労働者は厳しい状況に追いやられています。損保においても合併・統合・提携など再編情勢が大きく進み、損保労働運動や損保労働者に大きな影響を与えた時期でした。

 昨年の第4回総会にお招きした保険ジャーナリストの中崎氏は『損保産業の現状をどう見るか』について語って頂きましたが、その中で中崎氏は「競争が契約構造の劣化、代理店の劣化、人材の劣化をもたらせている」指摘されました。私は中崎氏は「劣化」という言葉を使ったけれど、損保産業全体の基盤・地盤沈下、モラル低下、すなわち損保産業の「貧困化」が進んでいる姿を言葉を代えて見事に表現されたと思いました。

 今年4月の『“ミレアとジャパン”戦略のゆくえ』講演でも押尾教授は最後に、「巨大2社を先頭とする不公正・過当競争はバーを一層引上げ、労働現場にしわ寄せを強行し、本来求められるべき損保産業の役割と機能を逆方向に向かせていく」と指摘されました。二人の講師が述べられたことは今皆さんの職場で進行している通りだと思います。

 この程、ビッグ3の1社が「サラ金」会社との提携・資金提供を発表しました。「国民生活の安心と安全を守る」筈だった損保産業が、「儲けのためなら何でもする」「市民生活の困難と破壊に手を貸す」という道を選んだことも二つの講演内容と共通している姿だと思います。

 この様な情勢の中で、損保労働運動も複雑で厳しい情勢の下にあります。       2年前の第3回総会は全損保日火支部脱退派による全損保脱退問題の最中でした。宗藤講師は分裂・脱退の本質を語っていただきましたが、その後の事態は指摘どうりに進んでいます。私は昨年のこの総会で、前全損保委員長の瀧さんの職場復職について「日本興亜経営者が組合間差別・不利益取扱の不当労働行為を行ってきたもので、全損保敵視、労働条件や権利が合併会社の悪い方に合わされている具体的な例だ」と報告しました。現在、都労委で審問が続いていますが、そう遠くない時期に和解か、命令で完全勝利すると確信しています。その中で合併両社の労働協約・専従協定・労使協議決定ルール・人事異動ルールの相違にだどりつき、この問題の本質が明らかにされると思います。        私は今日の損保労働運動や損保労働者がおかれている厳しい状況は、2年前日火支部脱退派が強行した「一つの組合」論がその後の分裂・脱退の論理としてまかり通っているところに原点があると考えています。日火支部OBとして彼らの行動を許せない怒りを痛感しています。                            

 さて、私たちは昨年の総会で業界情勢・労働組合情勢を踏まえ、「今こそ、革新懇の出番。さあ、職場に革新懇の風を吹かせよう」と確認しましたが、損保革新懇運動が着実に前進した一年だったと言えると思います。

 その一つは自らのホームページの開設です。これはインターネットを通じ、大阪から全国の仲間に大阪損保革新懇の存在と活動を知ってもらい、損保革新懇運動の発展を願う情報を発信する運動です。私たちの取組と業界4紙が取り扱ってくれたこともあって、本日午後3時現在、のべ1677人の仲間がページを開いてくれています。6月のニュースでも紹介しましたように東京を始め、各地から感想が寄られています。          二つ目の特徴は、それそれの職場革新懇が固有の問題・課題を取り上げ始めるという新しい発展が生れています。一例ですが、「あいおい」革新懇は楠目さんの配転問題の解決に奮闘しましたし、「日産」革新懇は「損保ジャパン」革新懇に名称を変更し、仲間に活動参加を訴えています。「共栄」「日新」の革新懇も職場の要求を語り合い、会員が多く増えています。「日本興亜」革新懇は革新懇主催で年金問題学習会を開催し、労組組合員も参加しました。「大成」革新懇は合併に伴う問題について語り合っています。

 三つ目は、「大阪損保革新懇」結成以来、金沢・新潟・香川の地域職場革新懇が誕生し、本年度結成された秋田金融革新懇の中に損保の仲間が参加しています。6月には東京で「あいおい損保革新懇」が新たに発足し、全国に損保革新懇運動の輪が広がっていることです。5年目の本年度は損保革新懇運動を大阪からさらに発展させるために互いに奮闘しようではありませんか。      

                                         本日の記念講演にはお忙しい中、辛口のジヤーナリストとして有名な大谷昭宏さんを迎えることができました。大谷さんは東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、読売新聞で活躍されました。1987年、故黒田清氏とともに黒田ジャーナルを設立、現在は大谷事務所で多方面で活躍されています。私は毎週、赤旗日曜版の「熱血ジャーナル」を楽しみにしています。今年7月刊行された『関電の誤算』も多くの仲間が読んでいます。関電闘争が解決した1999年12月8日、北浜ビジネス会館で勝利報告集会が開催されましたが、ちょうどこの日は私たちもこの場所で『教育問題勉強会』を開催し、その熱気ぶりを見せていただきました。今日は、大谷さんから経験豊かなお話を聞かせていただけると思います。それでは大谷さん、よろしくお願いいたします。